グローバルエデュケーションセンター 客員准教授
学生たちがお招きする豪華なゲスト講師で話題の「たくましい知性を鍛える」通称、「大隈塾」。「学生が主体」という文字通り、講義はSA(Student Assistant)と呼ばれる受講生が運営をし、担当教員の村田信之先生は「むらさん」の愛称で親しまれています。
学生時代
〜キッチンスタッフからライターへ〜
- 学生時代、アルバイトはされていましたか?
してたね。1年生の時に飯田橋でスパゲティ屋さんのキッチンやってた。
− その他に課外活動はされていましたか?
2年生の時からはフリーのライターをやってた。
− とても気になります。ライター活動を始めた経緯を知りたいです!
元々は河合塾の塾内報を学生でつくらないかっていう話があって、僕は河合塾出身じゃなかったんだけど、同級生に呼ばれたからいやいや行ったんだよね。それで書いたら、週刊誌の人から「村田くん面白いから週刊誌でやってみない?」って言われて、、、。
− そこからすぐに記事を書くようになったのですか?
すぐには書けないから、取材してデータをあげるとかをやってたかな。一年くらいは下積みをやったら、昔は若者雑誌とか週刊誌の中に若者が書いた記事を載せるページがあったんだけど、そういうとこで書いてたね。
− そうした経緯で、大隈塾創設者でもある田原総一郎さんと出会われたのでしょうか。
そう。離婚報道の時も「フリージャーナリスト」の村田信之氏ってなってたでしょ?昔は田原総一郎さんのスタッフとしてフリージャーナリストをしてたの。けれど今は違うから、書くときは「早稲田大学の教員」の村田信之って書いてくださいって言ってるんだけどね(笑)。
− スキンヘッドにされたのは学生時代からですか?
なんでスキンヘッドにしたかっていうと薄くなってきたから(笑)。学生時代から薄くなり始めて、そろそろと思った時には一気にやるぞと。寄せたり、増やしたりせずに、なくすというね。それでスキンヘッドにした後に、お坊さんに「村田さんはいつ剃ります?」って聞かれたから「ランダムに剃ってます」って答えたの。そしたら「4の日と9の日ですよ」って言われたから、剃るのは4の日と9の日にしてる。
− むらさんのインスタのスキンヘッドの写真好きです(笑)。
− 学生が学生時代にしておくべきことってどんなことでしょう?
やりたいことを見つけるっていうことが一番大切だよね。そんなの簡単に見つからないよって思うかもしれないけど、そんなおっきいことじゃなくて小さいことでもいいんだよ。例えば、今月はいっぱい映画をみたいとか、この勉強をしたいとかもいいと思う。
なんでかっていうと、やりたいことを持って生きているほうがよりいい生き方をするってよく言われていたりするんだよ。それは修正する土台があるから前に進んでいけるということなんだよね。「やりたいこと」っていう土台がないと前に進んでいるようで、日程をこなしているだけになってしまうからね。繰り返しになるけど、小さい夢をもって修正しながら生きていくことが学生時代にやるべきことだと思う。
ジャーナリストから教員への転身
− ジャーナリストから教員になったきっかけを教えてください。
田原さんに「早稲田大学と一緒に大隈塾をつくるから村田くんも手伝って」って言われて。それが2002年の大隈塾のスタート。田原さんとか他の先生たちはドンと座っているだけで、僕がゲスト講師と交渉とか打ち合わせとか、あとは学生たちと話し合ったりするのを担当していたんだよね。
− ジャーナリストと教員の違いはなんでしょう?
講義のまとめを言うのではなく「書いて」いたのがジャーナリストだったとき。ジャーナリストの記事って学校の先生っぽさがないでしょ?僕のnoteを見てもらえばわかると思うんだけど。それで大隈塾をやり始めたら他の学校でもやってくれって声がかかって、栃木と京都の大学ではちょっと教えてたかな。
− 早稲田以外でも教えてたんですね!!そこではどのような講義をされていたんですか?
「information からintelligence 」っていう自分の中の一つのポリシーがあるから、どうやったらinformation からintelligenceへ昇華させることができるのか、実際に新聞記事を使ってやってみようっていうこととかやってた。
− 新聞記事を読んで学生で意見交換をするってことでしょうか?
いや、意見交換ではなくて一人でやる。新聞の中から2つ全く被らない記事、例えば、街の中から銭湯がなくなりましたっていう記事と内閣がへたれしてますよっていう記事を持ってきてそれぞれ要約して、二つの共通点を無理やり発見するワークなんだよ。その共通するところがintelligenceにちょこっとかするようになるわけ。それを繰り返していくといろんな視点が自分の中に入ってくるから、就活のESとか小論文にも役立つようになるよね。
− 教員じゃなかったら、どの職業についていらっしゃったと思いますか?
やっぱりジャーナリストじゃないかな。または政治家とか。でもね、一回、2011年に区議会議員選挙で落選してるんだよ。その年に長崎で中学の同窓会があって、中学一年の時の担任の先生が当時書いた「自分の将来」っていうテーマの作文をその時に返してくれたんだよね。返し方もその先生のクセのある返し方で(笑)。
− 懐かしくて嬉しいですね。
そこに僕の将来の夢は政治家か大学の教員って書いてたんだよ。全然覚えてなかったんだけど、最後のまとめのとこで政治家はペコペコみんなに頭下げなきゃいけないから、ふんぞりかえっていられる大学教員のほうがいいかもしれないって書いてあったわけ(笑)。
それをみて、自分の道は間違ってないなと。紆余曲折はあったけど、自分が中学一年の時に思っていたことを実現しているってことだよね。さっき話した自分のやりたいことをみつけようって実体験に基づいたことでもあるんだよ。
学生主体の大隈塾
− 大隈塾はスタート時から大きく変化したと聞いています。
当時は大隈塾は学生主体じゃなくて、ゲスト呼んで90分喋ってもらうってことをしてたからそこまでは大変じゃなかったかな。ただ、感想文を全部読むのはすごい大変だった(笑)。
− 今でも全員の感想文に個別LINEでコメントくださってますよね。
そうそう(笑)。今も一番大変なのはそれかも(笑)。
− 100人を超える学生の感想を呼んで、コメントを返すのってどれくらい時間かかるのでしょうか?
月曜日に学生がまとめてくれた感想を読み始めて、早くて火曜日に読み終わって水曜日にシェアしたり、コメント返したりして遅くとも木曜日までには終わらせる感じかな。
− すごい(笑)。私は今学期初めて大隈塾を受講して、オンラインで不安もあったのですが、その中でコメントをいただけたのはすごく嬉しかったです。
それはよかった。だから、スルーされると悲しいよね(笑)。あと、「教授からこういうLINEきたんだけど謎じゃね」とか陰でいわれてるとか(笑)。でも、みんなが喜んでくれていると聞けて、やりがいを感じるね。
− 話は戻りますが、大隈塾が学生主体になったきっかけはなんだったのですか?
学生主体にしようと考え始めたのが2016年くらいで2017年から今みたいな形に徐々に変えてきたんだけど、きっかけは受講生が減ったから。それで、なんでなのかなと考えて、学生たちのニーズにあっていなかったんだなと。つまり、こっちがいいと思って準備したものが学生たちに受け入れられるかは別問題だということだよね。間違っていたわけではないんだけど、もっといい方法があるだろうと。それが学生たちに任せてみようということだったんだよ。
大隈塾は知識伝達型ではなくて、自分たちで考えて動いていくという授業。つくり手側の学生(SA)が一生懸命頑張っても受け手側の学生(ステューデント)が反応してくれなかったら恐らく半分ぐらいしか効果が出ていないんだよね。だから、ステューデントが主体的に自立的に受け止めてダイアログしていくことによって講義の質が高くなっていく。だから、大隈塾をいい講義だと思ったなら、それは自分が積極的に参加しているっていう証拠だよ。
− 大隈塾を受講したいと思っている学生にメッセージがあれば伺いたいです。
そうだね、まず楽しい授業だよっていうこと。あと、少しだけ脳みそに汗かきますよってこと。確実に自分の成長に繋がっていくし、望んでいるものは勝ち取れるようになると思う。例えば新しい仲間だったり、新しいプロジェクトだったり。だから、大隈塾にくれば、自分が行動すれば実現できるってことだね。
− わせいろも大隈塾で出会った仲間でスタートしました。学生にとってむらさんはお父さんのような存在だったりもします。
子供たちから言われてたね、実際の子供よりも学生たちの方が可愛いでしょって(笑)。学生たちと接している時間が長いからね。でも、今学期、自分の娘が実際に大隈塾受けてみて、自分の父親がどういう仕事をしているかってわかってくれたみたいだね。ペット以下と言いながらもね(笑)。
− (笑)。娘さん、講義についてなんておしゃってました?
今日の一言よかったよとか、今日の講義楽しかったよとか。やっぱり感想文みてたらちゃんと学んでいるかっていうのはわかるから、娘の感想文をみてちゃんと学んでくれてるなと感じてた。
− 大隈塾を受けたら、むらさんがどれほど学生の成長を後押ししているのか娘さんにも絶対に伝わっていると思います。
今、伝えたいこと
− 最近移住された釜石での生活は何週間経ちましたか?
もう3週間目入るかな。こないだまでずっと家にいたけど、2週間目過ぎてからは友達が家に来てくれたよ。清宮幸太郎選手の親父が来てくれて遊んだりしてた。これからは歓迎会があって、これからいくつか歓迎会がありそう。
− いいですね歓迎会!!清宮さんは大隈塾にもご登壇されました。
うん。やっぱりね、動き出さないと道は見つからなくて、道を探していると道は見つからないんだよね。ぐーーーーっと進んで行ったところに道は出来ていくっていう。選んだ道が正解ってことなんだよね。選ばずに前に進まずにいると何もみえないよ。進んで振り返ると道があるよ。
− 今のお話、大隈塾を履修するか迷っている学生の背中を押す言葉にもなりますし、私自身にも響きました。
こうやって新しい時代になるんだぞということを言っておきながら何もしないと、口ばっかりということになるでしょ。移住した1番の要因はそこにもあるんだよね。学生たちにしっかり自分が新しい時代を生きている姿を見せるというね。「生き様」まではいかないけど、ライフスタイルを時代より先に、時代に合わせて、変えて選択をしていくという姿を自分の学生達に見てもらう。
− 学生は、むらさんの生き方を知ることによって、新しい選択肢を得ることができますね。
正解のない時代なんて散々言ってきたけれど、新型コロナウイルスが出現して以降、本当に正解のない時代になっちゃったんだよね。だからロールモデルというカタチで成功モデルをそのまま真似すると上手くいかない時代になっているよね。
そんな今の時代だからこそ、成功モデルではなく色んな成功パーツを知って、その一部を自分や時代に合わせて取り入れていくことが大事なんじゃないかな。成功パーツを参考にして、試してみて、ちょっと間違えたなと思ったら修正していく。そうやって前に進んで行くのがいいんじゃないかなと思うよ。それがこれからの生き方なんじゃないかな。
ー 最後にむらさんの好きな言葉を教えてください!
「明日できることは今日やらない」かな。いいじゃん別に明日できることは明日やって、今日を苦しまなくても。おわり♪って感じ。はいはいって。半分冗談みたいな話だけどね~。
− むらさんの生き方から学ぶことが本当に多いです。インタビューを受けてくださりありがとうございました!!
教員プロフィール
略歴
長崎県佐世保市生まれ。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒。
早稲田大学大学院公共経営研究科修了。
1993年~ 田原総一朗スタッフ
2002年~ 早稲田大学オープン科目の大隈塾「21世紀日本の構想」の立ち上げ
2004年 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム(現リーダーシップ・チャレンジ)立ち上げと運営に関わる。
2009年 鳩山由紀夫内閣で内閣官房専門調査員として総理官邸勤務も経験する。
2020年8月 岩手県釜石に移住。
担当科目(2020年現在)
・たくましい知性を鍛える(大隈塾)
・たくましい知性を鍛える演習
大隈塾公式HP
むらさん note
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