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  • 執筆者の写真わせいろ

兵藤智佳先生 後編

更新日:2021年8月12日

准教授


専門

ボランティア教育 / ジェンダー / 保健医療 / 人権


本記事(後編)では、ボランティアに求められる心構えや必要な力をどうやって伸ばすのかについてお伺いしました!ボランティアをやったことがある学生も、やったことがない学生にも響くお話になっています。後編も最後までお楽しみください!



目次
ボランティアに求められる姿勢
”想像力”を培うには
自分の言葉で語る

ボランティアに求められる姿勢

-私個人は今までボランティアをやったことがなくて、でも今回オリンピックのボランティアの募集がかかった時に純粋にやってみたいと思って応募しました。初めてボランティアをやる人はどういう気持ちで行く人が多いでしょうか?


オリンピックボランティアは様々な利害が絡んでいるので難しいところはありますが、何か成長したい、相手ではなくて自分が何か経験を得たい、レジュメに書けるという俗っぽいのも含めて自己成長は大きいと思います。いろんな人との出会いを通して自己実現したい気持ちは、初心者には多いかな。あと、居場所探しも多いです。あくまで一般論ですが、若い世代は自己肯定感が低くて自分で自分のことを良いと思えないので、弱い立場の人に何かをして「ありがとう」って言われたい。そして、自分の存在を承認されたいという自己承認欲求が最初の頃はボランティアの入り口として多いです。感謝されたい、「ありがとう」と言われたい、そうすると自分の存在が確認できて自分が誰かの役に立てていることを感じます。自己承認欲求と自己実現欲求がある人には、それが魅力的に思えるのかもしれません。


-確かにそうですね。


感謝されたいって分かりやすいですよね。皆さん普段は不満ばかり言われているし、「ありがとう」と言われる機会は少ないのではないでしょうか。ボランティアは「ありがとう」と言われるチャンスになります。でも、それは上から目線で危険ですよね。私は、「やってあげる人」「あなたは私に感謝する人」という関係性はすごく危険なのでそこは気をつけるようにする必要があるとは思います。相手はあなたに感謝するためにいるわけではないですが、最初の入り口としてはそれでもいいとも思っています。


-反対に受け入れる側は、ボランティアの人がどんな気持ちで来ることを望んでいるんでしょうか?


やっぱり偉そうな人はダメですよね。「俺がやってやる」のように上から目線な人は一番嫌われます。相互に得るものがある。与える人与えられる人という関係性ではなく、個人対個人が相手のためにできることは何かをともに考えられる関係性が求められます。自分はやってあげる人、あなたは感謝する人という関係性で行くと問題は起きるし、歓迎されないのではないかと思います。ただでさえ最初からボランティアというもの自体が上下の関係なので、上下関係をどうやってフラットにできるかをともに考えられるマインドが必要だと思います。



兵藤先生がご担当されている「パラリンピック・リーダープロジェクト」での一枚

”凸凹があたりまえの空間に”を理念に活動されています



”想像力”を培うには

-自分がしたことが相手にとっては迷惑だったということがあると思います。ボランティアにおいては”想像力”がキーになっていると感じたのですが、そうした力はどのように培っていくのでしょうか?


一番大切なのは子ども時代だと思います。こんなことを言ったら元も子もないのだけれど(笑)小さい時にどれだけいろんなことに触れられているかや、他者の気持ちを推し量る場や環境があるかが結構効いていると思います。そして侮れないのは芸術作品です。文学やテレビや映画などの物語にどれだけ多く触れるかも重要です。物語は他者なので、どれだけ本を読んだかというのも大きいですし、どれだけ他者と出会って他者との摩擦を経験してきたかがすごく大きいです。全然違う文化の人と出会うと自分の理解の範囲内だけでは相手を理解できないので想像力を働かせるしかない。そうした異文化経験が学びに繋がります。例えば貧しさのせいでこども食堂に行かなくてはならない子供たちの気持ちは、皆さんのようなエリートにはボランティアをしてもなかなか分からないと思います。それは想像力を働かせるしかないです。


-学生が想像力を養うには、自分とは境遇の違う他者と出会うことが重要なんですね。


そうですね。例えば、両親が離婚してて、貧困の中で高校にも行けない子どもたちがいる。その境遇が自分と違えば、その子どもたちがどんな気持ちで勉強をしているかは分からないですよね。想像しないと近づけないですし、本当に理解するためには本を読むのではなくその場に行く必要があります。実際に現場に行くと、学生が一生懸命勉強を教えようとしていても子供が勉強に集中してくれないことも多いです。そのことに怒る学生もいるけれど、できない子の気持ちをどれだけ想像できるかが重要です。そこでちゃんとやれよって言うか、小さい頃から勉強ができなかった子の気持ちを想像しようとするか。ボランティアは行けばいいというものではないです。そこで立ち止まれるか、自分の価値を押し付けないかが大事になります。先ほどの例だと、一度立ち止まって”勉強はできたほうがいい”という自分が持っている価値観をちゃんと相対化できる力があるかどうかが想像力に繋がります。でもそういう場がないとなかなかやらないですよね。


-他者の気持ちを想像することや、他者の背景を理解しようと努めることは兵藤先生のご専門だと思います。自分の中にどれくらい知識があるかによって相手をどれだけ想像できるかは変わると思うのですが、想像力を肥やすために日常で自分の中の引き出しを増やす方法はありますか?


私の場合、いろんな学生に会っているので必然的にそうなります。いろんな学生に会いますし、仕事上嫌なことを言う学生を排除することはできません。この気の合わない学生をプロとしてどうやって能力を伸ばせばいいのだろうかと問われるわけです。だから仕事上、毎日がトレーニングです。皆さん学生がトレーニングにならない理由は、逃げられるからではないでしょうか。皆さんは嫌な人と付き合わなくて良い環境にいて、理解できない人とは距離を置けばいいだけです。それでは逃げる道があるからトレーニングになりません。海外へ行って異文化に触れることや、いろんな人と出会うことはもちろん大切ですが、実は他者理解は足元にあります。皆さんも家族とコミュニケーションをとるのは大変でしょう?勝手なことばかり押しつけてきますし(笑)。そこでその分かり合えなさを破局させないようにお互いにうまくやるか、とにかくドアを閉めてコミュニケーションをしないか一度は経験するんじゃないかと思います。これは、他者理解とコミュニケーションのトレーニングになってます。家族とは離れられないから必死になるじゃないですか。家族はなぜここを嫌がるのだろうとか、なぜこんなことを言うのだろうとかを日々考えるので、これはトレーニングになっています。あと恋愛もトレーニングになります。恋愛では、なぜこの人はこんなことを言うのかって必死に考えますよね。だから恋愛経験をしてほしい。好きじゃなかったら逃げられるけど、好きだから逃げられないんですよ。ここが大事で、他者理解に繋がります。


-最初想像力を豊かにすることは難しいと感じていたのですが、恋愛や親との関係のような身近なところから始まっているんですね。


まさに始まってます。離れられないからなんとか理解しようとしますよね。それがすごく良い機械になります。でも、離れないといけないという時もあります。ここまで分かり合えなかったら戦争になる前にお互い距離をとって、東京に行こうとか。彼氏ももうダメだと思ったら別れないとこれ以上一緒にいたら暴力になってしまう、だから離れるという距離感をとるとか。理解というのは近づくだけじゃなくて離れる練習でもあります。ボランティアも同じです。ずっと行けばいいというわけではなくて、どうしても理解できないときはやめたほうがいいという場合もあります。この塩梅を練習することができる。どこが頑張りどころで、どこらへんでけりをつけたらいいのかも想像力の範囲内です。やっぱり想像力が大切ですね。そうは言いつつ私は行動派なので実践してほしいですが、基本的には想像力を養うためには知識をつけることや本を読むことも大事です。時間があるときには人間の物語をたくさん見てほしいですし、古典・小説・映画は宝庫です。私も3本立ての映画を学生のときはたくさん見ていました。こういうクラシックなことはやっぱり役に立ちます。5分で分かるコミュニケーションのような実践書ではダメです。ああいうものは役に立ちません。文学作品を読んでほしいです。



自分の言葉で語る


早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター,

『ボランティアで学生は変わるのか 体験の言語化からの挑戦』,ナカニシヤ出版,2019


-先生の著書の「ボランティアで学生は変わるのか」を読ませていただきました。学術の言葉で止まってしまう学生が多いとご指摘されていて、自分もそうした一面があるなと思いました。


楽ですよね、学術の言葉で表現するのは。


-まとめてうまく言えた気になります。自分の言葉で語るという力は授業以外だとどうやって育てることができますか?


恋愛ですね(笑)。さっき話したことと重なるけれど、恋愛は自分を表現して相手に好かれるか好かれないかの勝負です。タブレットとかを持って「あなたが好きです」なんてしないですし、だからこそ自分をさらけ出すしかない。日常生活だと、アルバイトだって家族だって、自分のことさらさなくても大体何とかなるのではないかと思います。一番自分をさらけ出して自分の言葉で伝えるしかない場面って、恋愛だと思うんです。「好き」っていう感情を伝えるときに人の言葉ではダメなのを一番感じさせてくれるから、私は「体験の言語化」に一番いいのは恋愛だと思っています。


-恋愛には自己啓発の面もあるんですね(笑)。


就活も自分の言葉で語る機会としては良いけれど、企業が喜ぶようなことってある程度マニュアル化できるから借り物の言葉に頼ってしまう場合も多い気がします。半分冗談もあるんだけど一番のトレーニングになるのは恋愛だと思います。あとは、親友とかもそうですよね。親密な関係性をつくろうと思ったら、相手に学問の言葉で「あなたと私の権力関係が問題だと思うんだよね」なんて言わないです。だから自分の言葉で「あなたになぜ私が感じたことを言えないかというと」って伝えるしかないです。だから、親密な関係性を作るための努力っていうのは、自分の言葉を磨きますよね。


-逃げないでちゃんと向き合うことが大事なんですね。


そうそう。さっきも言ったけれど失敗しないと学ばないんです。上手くいったことからは、それ以上を求めないので学べることが少ないです。上手く物事を進めようとしていると、自分が本当に思っていることを表現していないという思いが引っかかってくるのではないかと学生を見ていて思います。そういった消化不良な思いが積もり積もって私の授業までくるのだけど、本来であれば授業だけでやるようなことじゃなくて、自分の考えを他者に体現していく場があれば学べることなんです。。喧嘩するとか、決裂するとか、失恋するとか、あなたたちは人間関係の失敗少なすぎます。伝えなきゃいけないことって、自分の言葉で言わないと伝わらないですからね。


-失敗を怖がるのってもし失敗を起こしたらそれが全部自分の責任だと思うからですよね。著書にも「学生は社会の起きていることに対しては他人事のように感じるのに、自分に起きたことは自分だけの責任かのように捉える」と書いてありました。そのことに対して学生はどんな風に向き合うべきですか?


なんでそう思わされてるんだろうってまず気づくことです。勉強できなかったらお前が努力しないせいだとか、お前が友達がいないのはお前のコミュニケーション能力が無いからって思わされてることに気がつくことです。お前のせい、お前が頑張れというように、自分に起きてることが常に全部自分のせいだと思わされやすい社会にいますよね。おそらくその社会の反映としての両親がいるし、学校があるということが原因だと思います。けれど逆もしかりなんですよね。早稲田に入ったのは自分が頑張ったからだと思っていませんか?あなたたちが金銭的な余裕がある恵まれた家庭に生まれたことってなにもあなたの努力じゃないですよね。そこには社会の構造があって、明らかに偏差値が高い大学の入学率と両親の年収が正比例していることは事実なんですよ。そういう結果はみんなの個人的な努力の結果だけじゃないですよね。社会の構造を考えると、自分がどれだけ恵まれていたのかを知ると同時に、自分自身でどれだけ苦しめられているのかも知ることができますよね。


-自分の周りにある環境が今の自分をつくっているんですね。


自分が直面する困難全てが自分の責任だと考えることと、社会で起きていることを自分事化しないことはイコールの関係だと私は考えます。ホームレスの問題一つをとっても、ホームレスの人が働かなかったのが悪いと考えれば、当事者の生い立ちや背景を想像できないですよね。私は勉強してきたし、ホームレスの人は、勉強しなかったのが悪いと考えるのは、自分が勉強できるだけの恵まれた環境にいたことへの自覚が足りないかもしれません。それに、自分が困難に直面した時もすべて自分の責任だととらえてしまうのではないでしょうか。私には、その当事者としての感覚があります、明日ホームレスになる感覚です。30歳すぎまでに就職できなかった私にとっては、ホームレスの問題は他人事には思えません。たまたま早稲田大学で私のことを評価してくれる人がいて、採用してもらったから今があるのであって、本当にたまたまなんです。私が努力したから今の私の地位があるんじゃないっていうのは身にしみて感じています。その代わりに、私が失敗しても絶対助けてくれる人がいるっていう世界の中にもいるということも同時に感じています。けれど、大学生って一人で頑張らないといけないって思ってる人が多いですよね。お互いライバルみたいに、他者と自分を比較したりとか。そんな競争しないで助け合おうよ、って強く思います。きっとみんなは助け合うのが得意じゃないのかな。サークルとか見てても、全部自分で背負おうとする傾向が強いと感じます。


-自己責任っていわれますよね


その代わり他者にも厳しいんですよね。ちゃんとやれ、なにさぼってるんだ、という風に。一緒にやろうとはならないことが多いように思います。それは学校で自分だけ一生懸命やれば自分だけ成績上がって勝ち抜いてきた人たちだからだと思います。勉強できない人と一緒に助け合おうという発想を抱く場面は少なかったのかもしれないです。このことはそれは決して君たちのせいではありません。あなた達は何も悪くない。でもだからこそ、そういう風にさせられてきたんだということに気がつかなければなりません。そうしたら考え方を変えることができると思いませんか。競い合うのではなくて助け合おうという方向に。だから私はホームレスを支援するし、こども食堂にも行くんです。なぜなら私はもしかしたらシングルマザーの家庭だったかもしれないし、貧困だったかもしれないから。私にとっては他人事でも慈善行為でもなんでもなくて、自分事なんです。たまたまシングルマザーの家庭に生まれたことが原因で勉強できない社会は間違ってます。私はたまたま大学まで行けただけなんです。このたまたまを思い知っているからこそ、私はそうじゃない人のところに行くんです。そして、行ってほしい、君たちにも。そう思ってます。


-他者の気持ちを推し量るのってむずかしいなって感じてしまっていたのは、”自己責任論”の考え方が自分の中に強くあったからなのかなということに今気づきました。


あるのはしょうがないんです。それに気がついたうえで、何ができるのかゆっくり考えましょう。


-ここまで質問の中で学生に対するメッセージをたくさんいただくことができました。その中でも兵藤先生が一番伝えたいメッセージは何か教えてください。


みんなが自分で色んな事やっているのは本当に素晴らしいんだよって言いたいです。意欲のある人同士が共鳴して集まって、その輪がどんどん広がっていくということが色んな場面で起こるようなそんな大学であってほしいし、そんな社会であってほしいと思います。それと、自分自身のことをまず評価しようよ、って言いたいですね。みんな頑張っているから、まずそれを認めましょうよ。社会って若者を追い立てるようなことばっかり言ってくるけれど、あなたたちもう十分頑張ってるし、それは心から認めようと言いたいです。


-自分を褒めてあげるって意外とやってないかもしれないです


自分はダメだなんて思わないで、私は私でいいと思うこと、まずそこからだと思うんです。そう思えたときに初めて他者に目が行くんです。私はこれでいい、っていう地点に立つことができた時、じゃあ共に生きる隣にいる人がどうなんだろう、っていうその視点を持てるかどうかだと思います。頑張ってください!応援しています。


兵藤先生、貴重なお話をありがとうございました。失敗からしか学べないと思うと、失敗を活かせるように思考を巡らせたいと思いました。失敗からも逃げず、他者と向き合うことからも逃げず、他者を理解する力を養っていきたいです。また、自分が大学で学べていることも、自分の力で入学したのではなくそれを実現できる周りの環境があったからだと改めて気がつきました。現在の社会は人の能力に重きを置いていますが、その能力が本人の置かれた環境に拠って生まれたことが分かると、世の中の課題は全て自分の身にも起こり得る自分事だと意識できました。本日は本当にありがとうございました。


教員プロフィール

担当科目(2021年現在)

ボランティア論 体験の言語化

パラスポーツとボランティア

グローバルヘルス

グローバル社会貢献論


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