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  • 執筆者の写真わせいろ

兵藤智佳先生 前編

更新日:2021年8月12日

准教授


専門

ボランティア教育 / ジェンダー / 保健医療 / 人権




今回は、「体験の言語化」や「ボランティア論」等の授業をご担当されている兵藤智佳先生にお話を伺うことが出来ました。前編・後編の二部構成で記事をお届けします!本記事(前編)は、兵藤先生の授業での工夫や教員になるまでのお話を伺うことができました。是非、最後までご覧ください!



学生主体の授業が生まれる工夫

-授業の工夫についてぜひお話を伺いたいです。私自身先生の授業を受けて、学生をあだ名で読んでくださったりディスカッションがあったりと積極的に参加できる授業だと感じました。


まず教授対学生という心理的な壁をなくすために、あだ名で学生の名前を呼んでいます。あだ名も本人が呼んでほしいと言ってくれた名前で呼んでいて、学生本人にあだ名を書いた名札を付けてもらうようにしていますね。受講者数が20人以下のクラスではこのやり方を実施して、受講生たちもあだ名で呼び合っています。本人の許可を取っているからあだ名で呼んでいるというポイントは、授業の初回でも外部から授業を見に来た人がいる時にも必ず伝えるようにしていますね。勝手にあだ名で呼んでいるという勘違いから上から目線に捉えられないよう気をつけています。このあだ名制度は、学生からの評判が良いですよ!大学入ってあだ名で呼んでくれる先生ってかなり珍しいですから(笑)。


-あだ名で呼んでいただけると、先生から私たち学生に近づいてくださっている気持ちを感じて凄く嬉しく思っていました。


そういった口コミがあるから、積極的に先生や授業と関わりたいという姿勢の学生が集まる傾向がありますね。もう一つ授業づくりで工夫していることは、いかに参加型の授業をつくるかです。私の授業は全てグループワークが凄く多くて、ディスカッションとグループワークを通して学生が自分から発言する機会をたくさん設けています。それに、ディスカッションをする際には事前にどのようにテーマ設定をするか、どのくらいアイスブレイクをするかということも私の専門分野のひとつであるボランティア教育で継続的に開発している内容です。



ボランティアで学生がぶつかる壁

-ご専門内容ですと、先生の著書『僕たちが見つけた道標』に「学生たちはボランティアは結局自己満足なんじゃないかという議論にぶつかりがち」というお話がありました。兵藤先生がこの問いに対してどのようにお考えかぜひお話を伺いたいです。


「ボランティアが自己満足かどうか」を考えること自体、あまり意味がないと思うので、その問いやめない?と思います。なぜなら、このように考えるのも、ボランティアには正解が無いからです。ボランティアが自己満足かそうでないかは捉え方次第でいくらでも変わるので、答えの無い問いだと思います。自己満足であるかどうかを2項対立で考え始めるとその時点で思考が止まってしまいがちです。経験をした後からいくらでも意味を見出すことはできると思うので、まずは行動することが大切ではないでしょうか。



兵藤智佳先生,『僕たちが見つけた道標 福島の高校生とボランティア大学生の物語』

晶文社,2013



-ボランティアをする前に、ボランティアは自己満足じゃないかと考える学生が多いのでしょうか?


そんなことないです。むしろボランティアをした後の方がこうした悩みを持つ人が多いと感じます。ボランティアを良かれと思ってやったのに喜んでもらえないというケースや、むしろ迷惑を掛けたのではないかと悩むケースもあります。そこを乗り越えると、自己満足かもしれないなら、自己満足じゃなくすには何が出来るのかを考えるようになったりします。ボランティアをした相手が自分の言動をどう受け取ったのかなんて分からないんだから、全力を尽くすしかないと思いますし、学生個人によって色んな着地点があります。自己満足かどうかで立ち止まらなければ、経験したことをいくらでも次に活かすことができます。皆さんはアルバイト経験を結局自己満足だったかどうかなんて考えませんよね。例えば家庭教師をしていて教え方が学生に弊害を与えていたとしても、それが結局自己満足だったかなんて考えませんよね。だったら、「なぜボランティアに対しては自己満足だったかどうか」を問うのかを聞きたいです。経験に意味があったかどうかを問うことは大切だと思いますし、アルバイトであれば経験の意味がお金で換算されて分かりやすいと思います。だからこそ、ボランティアで経験したことの意味を問うことはお金では換算できないことの価値を問うことに繋がるという意味で、一層大切な思考だと思います。


-ボランティア経験は自分で意味を問うていくもので、自己満足かどうかという尺度では測れないものなんですね。


そうですね。ただ、ボランティアが自己満足かどうかを一切考えてはいけないという意味ではなくて、そこで立ち止まってはいけないということを伝えたいです。自己満足になっていないかを考えなければ、自分では良かれと思ってやっていることが相手にとっては迷惑になっている可能性に気がつけません。ボランティアをする際、自己満足にならないように気をつけて行動することも重要なポイントですね。相手にとって、そのことはどうなのかという視点は大切にしてほしいです。


-そうですね。相手にとってどうなのかを気にして、ボランティアが自己満足にならないよう心配する学生も多いのかも知れません。


もちろん相手を慮ることは重要です。けれど、私は学生に対して、「なぜ失敗することをそんなにも恐れるの?」と問いかけたいです。失敗したら謝ればいいんです。傷つけてしまったら「ごめんなさい」と伝えればいいんです。20歳のコミュニケーションなんか失敗するに決まっています(笑)。相手にとって自己満足だったらどうしよう、相手を傷つけたらどうしよう、と考えて足が止まっていたら一向に学ぶ機会は来ません。学生の失敗から学べるうちに学んでおかなければ、その後学ぶ機会は多くないと思います。ボランティアでは相手を傷つけてしまうことはたくさんありますが感謝されることもあるんです。恋愛と一緒でやってみないと分からないんです。告白する前から付き合えなかったらどうしようと悩むのに意味がないのと同じです(笑)。失恋したら泣けばいいんです、傷つけてしまったら謝ればいいし、失敗したらそこから学べばいいんです。スマートにやって褒められたいと考える学生は多いけど、失敗することなんて当たり前なんです。学生のうちは失敗を怖がらず大いに失敗をしてほしいと思います。


-失敗しても何とかすると思い切って、まずは一歩踏み出すことが大事ですね。


私が相談として嬉しいのは、「僕が良かれと思ってやったら、相手にとって迷惑だったらしいです。もう来るなと言われました。どうしましょう。」という類の相談です。

何が足りなかったのか、次に出来ることは何かを一緒に考えることができるし、そういった振り返りのほうがよっぽど意味があると思います。大失敗の話でも喜んで相談乗りますよ。瓦礫撤去を頑張ったら、現地の人が大切にしていたお花を全部抜いちゃった学生もいて、一緒に謝りに行くとかもしましたね。分からないから失敗するし、仕方のないことだと思っています。何よりも価値のあることは失敗から学べることです。ボランティアはリアルな社会経験なんです。涙を出して感謝されたという話ばかりではなくて、もやもやする経験も理不尽な思いをすることも、大失敗をすることもあります。その中に学びの萌芽があるんです。次に繋がるように思考を巡らせておくことで、ボランティアで経験したことが現実世界を生きていく力をつけることに繋がってきます。


-ボランティアで経験したことは、生きていく上で直面する困難に対処するヒントとなるのですね。


こういうことだけをやっていると自己啓発のようになってしまうから、大学の学問と結びつけることも強調しています。それに、社会の構造・仕組み・権力など学問上大切な概念となっているものと経験を結びつけて視野を広めることにも重点を置いていますね。学術の場なので人生相談の場ではないように意識していますね。けれど、本当に私自身が学生にとって大切だと思っていることは、「生きる力」をつけることです。学校教育という守られた環境で育っている学生が、一気に現実の世界へ押し出されたとき、自分の力で生きていけるようになってほしいと思いながら授業をしていますね。時間がある大学生のうちに色んな人と出会って色んな失敗をして、他者とどういう風に関係を作っていくか考えてほしいです。


-ボランティアをする学生は、報酬についてどのように捉えているのでしょうか。報酬があるとお金に意義を見出す学生が多いと思います。そうなると受け入れ側が求めているものとズレが生じるのではないかと思いました。


たしかに有償ボランティアというものもあるけれど、それは私の中だとボランティアではないですね。やはり金銭をもらわずに自分がやりたいからやるというものこそボランティアであると考えています。金銭的価値を得るためではありませんと言い切れるところにボランティアの価値があると思います。金銭の目的以外で自分は何のためにこれをやっているか自分に問うところに意味があります。単純に楽しいという気持ちや、誰かの役に立てたという奉仕の気持ち、社会の課題をリアルに体感したことで当事者意識が強まったとか、挑戦している自分が嬉しいとかいくらでも湧いてきますよね。自分の行動にお金が絡んでいない分、より素直に自分の気持ちだけに集中できるという側面がボランティアにはあります。ただ、受け入れる側としては本当にお金がなくて無料でボランティアを受け入れているという実態もありますね。


-そういう実態もあるんですね。


払えるなら払ってあげたいと思っている場合が多いです。最近だとオリンピックボランティアの募集の際にブラックボランティアが話題になっていましたよね。このように本人が搾取されていると感じるかどうかに関わらず、構造上では搾取されている場合があります。このことは私も社会の課題だと思っています。


教員になるまで

~怒りを原動力に~


-兵藤先生ご自身も学生に生きる力を身につけてほしいという思いでボランティアを勧められていると思いますが、それは先生ご自身のご経験に拠るものなのでしょうか?


自分自身がやってきたことは、今でいうボランティアというカテゴリーに入るものもあれば、入らないのもあります。それが無償のボランティアなのかインターンシップなのかアルバイトなのかなんて当時の20代の私にとっては関係ありませんでした。私にとっては、社会というものを知ることが大事だったんです。当時の私は、世界や私たちの社会がどうなっているのかを知りたいと思っていました。だからボランティアも沢山やってみたし、永田町で政治関係のインターンシップに参加していました。企業で翻訳アルバイトも結構やっていましたね。どんなことであっても社会と関わることをすごくやりたかったんです。私は、社会に怒っていたんですよね、社会は間違っていると思っていました。なんで間違っているんだろう、どうしてこうなっているんだろう、なんで私はこんなに生きづらいんだろうとか。こういう風に大学の中で勉強以外のことを色々やりたかった。その一つがボランティアであっただけです。


-怒りが行動の源泉になって、社会を知るために様々なことをされていたんですね。


だから私は学生にボランティアをやれとは言っていなくて、はっきり言うと何でもいいです。インターンシップでもアルバイトでも良いし、海外留学でも良いし、世界放浪でも良い。キャンパスという場所をぬけてもっと現実の世界に行ってほしいと思っています。ボランティアはやりたいことを見つける一つの手段です。また、ボランティアでは社会の問題をかなりわかりやすく見られると思います。ボランティアは問題があるから存在するわけなので、困っている人や弱い立場に置かれている人がいるからボランティアに必然性が生じています。学生にはそこを見てきてほしいという思いがあって、ボランティアを勧めています。けれど、社会を知るという意味ではボランティアではなくてもどんな活動であれ素晴らしいと思います。留学に行ってほしいし、異文化に触れてほしいし、インターンシップで企業のことも学んでほしいです。ちなみに私は全部を学生時代にやっていて、全部意味があると思っています。だから特別にボランティアをやってほしいわけではないです。もちろんやってほしいけど、全部やってほしいです(笑)。


-それぞれの活動に共通していることはありますか?


他者と関わるということが共通しています。そこの土台はやっぱりその後に生きてきますね。私は20代で留学も行ってるし、政治もやってたけど、今の私にすごく生きています。社会で本当に困っていると言われている人たちのリアリティを感じる経験が自分の原点になっていますね。20代の私は、世界が間違ってると思っていましたし、今でも同じ思いを持っています。シングルマザーのもとに生まれた子どもたちが教育をちゃんと受けられないのって間違ってるし、学校に行けない女の子がいることも間違ってますよね。私の場合、「おかしくない?間違ってる!」という純粋な想いから始まっていて、それは教科書で学ぶことじゃなく行動に移していくものだと感じています。教科書を見ているだけでは日本の政治家たちの顔ぶれは変わらないですし、選挙に行くしかないんです。そういう風にとにかく社会を変えたかったです。けれど、怒っても変わらないということも分かりました。怒っても社会は変わらないから、怒っている暇があったら若い人の教育をしようと思って今に繋がっています。


-学生の中には何かに怒っていたり、何かを変えたいと思っていたりしてもなかなか行動に移せない人が多いと思います。そういう想いを持ったときにどうやって行動に繋げればいいのかを教えていただきたいです。


動機はなんでもいいと思います。行動していること自体をまず自分で褒めてほしいです。よくボランティアをしている人は意識高い系って言いますよね。そういうのは関係なくて、自分で自分を評価できることの方がずっと大事です。動いてることって素晴らしいことです。けれど、なかなかそうはできず大変だと思います。足が踏み出せない一番大きな理由は周りの目です。大学生は、何でもやりたいし挑戦したい年頃だと思うのですが、足がすくんで行動に移せないのは他人の目が原因だと思います。親・先生・友達・彼氏にどう思われるかのように、常に人の視線を気にしてしまっているんですよね。それが踏み出せない理由だと思っていて、まずはそれに気づけること。そしてそのための処方箋は、「私すごい、挑戦してる!」って自分で自分を褒めること。誰が何と言おうと、挑戦しようとする私はすごいって思えることが重要です。でも矢も来ますよね。世の中には行動を起こした人を潰したい人がたくさんいますから、それが怖いのもすごく分かります。下手したらそれが心の問題になって、いじめにつながるというリスクもすごくあると思います。なかなか声を挙げることや行動を起こすことは難しいというのを分かった上で言っていますが、若者が頑張らなくて世の中誰が頑張るの?って思っています(笑)。



ーーーー後編へ続く


教員プロフィール

担当科目(2021年現在)

ボランティア論 体験の言語化

パラスポーツとボランティア

グローバルヘルス

グローバル社会貢献論

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