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  • 嶋田夏生・髙橋佑佳

大門毅先生

更新日:2021年8月14日

国際教養学部 教授


専門

開発経済学/平和構築/途上国の貧困と開発


早稲田大学_大門毅教授インタビュー

今回は、早稲田大学国際教養学部で、開発経済学、平和構築、途上国の貧困と開発などの研究をされている大門先生改め「グランダーク」さんにインタビューしました。グローバルなフィールドでの多彩な経験とともに、グランダークさんの柔らかなお人柄が伝わるお話を聞けました。国際機関への興味関心がある生徒はもちろん、チャレンジングな経験をしたい学生の皆さん、必読です!!

※「グランダーク grand arc」:フランス語で「大きな門」を意味する

旧姓が違うので統一している、主にネット上のペンネームとして使用している



学生時代 

~波乱の留学経験~


ー グランダークさんの学歴を拝見させて頂いたところ、早稲田大学とパリ政治学院卒業と書いてありますが、これはどういった形態ですか?


大学2年生の時、私費留学でパリ政治学院に留学しました。当時は協定とか何もなかったから、現地に行って、フランス語で受験をした結果、1年間のコースに合格したので、留学しました。ある意味行き当たりばったりだったといいますか・・・。


ー それは凄いですね!元々フランス語を勉強されていたのでしょうか?


それはありますね。高校3年間附属校(学院)に通っていたのですが、第二外国語としてフランス語を選択して勉強しました。その時から自分の中でフランス語が気に入った言語でしたね。実際高校の時に一度短期でフランスに行きましたが、英語とフランス語ができるジャーナリストを目指していたので大学でもう一度長期で留学してみたいと思いました。


ー 他にフランスへの留学を決めたきっかけはございますでしょうか?


学院から早稲田大学の政治経済学部に進学して、そのまま卒業したら7年で終わりということを考えた時に、何も変化がないなとも思いました。大隈講堂での学院の入学式で、院長先生に「皆さんはこれから7年間のバカンスを味わうことになる。」というニュアンスのことを言われまして・・・。7年間のバカンスって何だろうって気になっていたんですけど、実際大学に進学して1年、また1年と過ぎてしまうとなったときに、バカンスで終わりたくないなと思いました。何かしらの変化を付けたいと考えた結果、フランスに留学しようと決意しました。


ーそういった経緯があったのですね!ところで、留学にまつわる印象的なエピソードがあればお聞きしたいです。


フランスに行くってなったんだけど、その時の行き方が特殊でした。あえて陸路を使って移動しようと思いまして(笑)。横浜港から旧ソ連まで船で移動した後、シベリア鉄道を使って約10,000キロを3週間位で移動した後更に東ベルリンまで鉄道で移動し、そこから「ベルリンの壁」の地下を通って西ベルリンに行き、そこからまたフランス行きの電車に乗りました。かれこれ一か月位の長い旅でしたよ!それ自体も凄く良い思い出になっていますね!


ー 様々なチャレンジをされたのですね!そうした数々の挑戦を行った中で、一番大変だったことはなんでしょうか?


当時はアメリカ留学やイギリス留学はぼちぼちあって、交換留学制度もある程度整っていたけど、フランス語での留学は正式な制度がなく、私費留学自体受け入れてもらうことが難しかったんです。当時政治経済学部はセメスター制ではなく、春と秋まで一つの単位を学ぶ制度が主流だったので、半年だけ履修して、残りの半年は留学に行くけど一つの単位として認定してくださいと一人一人の教授に相談しにいくのがなかなか厄介でしたね・・・。


ー 私費留学のハードルがかなり高かったのですね・・・。


そう。さらに、実際に現地に行ってみると、フランスはフランスなりに色々なトラブルがありましたね(笑)。入学試験を受けなければいけなかったこともそうですし、ビザの手続きに関しても全て一人でやらないといけなかったので・・・。現地に到着した後に、「あなたのビザではそんなに長く滞在出来ない。」と言われたり、滞在できたとしても滞在許可証を現地の移民局で更新しなけでばならないということが非常に煩雑でしたし、それを19とか20の学生が一人でやるということも大変でした。


ー お話の中からでも、大変な経験をされたことが伺えます・・・。

その一方で、フランスに留学に行って良かった!と思う一番のポイントがあれば教えてください。


そうですね・・・、学問的な面でいうと、フランス語について自信を持てたことが一番ですかね!政経学部で第一外国語としてフランス語をみっちり仕上げていたつもりしたが、留学当初はフランス人との同じ土俵での競争では苦戦した部分もありますが、一年間を経てよく分かるようになりました。苦労して留学してよかったと思えるのはむしろ帰国後でした。


帰国後は仏検1級を取得し、20歳そこそこの学生ながら外務省のフランス語通訳・ガイドとして、海外の賓客を京都や奈良にご案内して学資を稼げたことでしょうか。月に8回以上京都・奈良と東京を往復していたこともあります。外務省が招待したお客さまだけあって、全世界からあらゆる人と接する機会を得ました。授業に出るより多くのことを学べた気がします(笑)。


ー 学問以外で留学に行って良かったと思う部分はありますか?


それは当時ラッキーだったこともあるんだけど、当時早稲田でフランス語を教えていた先生がパリに知り合いがいるとのことで・・・。本来ならば現地でアパートを1から探さなければならなかったところを伝手を使ってパリの学生寮に入れたんですよね。その学生寮が留学生専用の寮で、大半がインドやパキスタン、中国などのアジアから来た学生だったんですけれども、彼らと一年間共に生活したということは非常に良かったです!生活面でも大きかったですし、その後のキャリアのきっかけにもなりました。フランスについて学ぶ為に留学した結果、アジアのことについても詳しくなって帰ってきました(笑)。


研究と実務の両立 

~グローバルなキャリアフィールドを通じて~


ー そうなんですね、フランス留学がキャリアのきっかけとなったということですが、具体的にはどう影響したのでしょうか?


特にインドやパキスタンなどの南アジアを中心とする開発途上国に関することがしたいと思うようになりました。当時は援助という言葉では意識していなかったんですけれども、留学中に特にパキスタン人の学生と仲良くなって、留学終了時にその友人の実家によってから帰国しようと。


実際に行ってみて衝撃を受けました・・・。今まで見たことの無かった南アジア、こういった世界が実際にあるんだと。その時に途上国のために何かしたいと思うようになりました。それで政治経済学部を卒業したタイミングで今でいうJICA※(当時は「海外経済協力基金」)に就職したんです。



ー就職後、大学院に進学されていらっしゃいますが、就業中に学問の道を選んだ理由をお聞きしたいです。


パキスタンのアフガン難民キャンプを回った際に、国連の旗を掲げたスタッフが活躍しているのを見た時に、自分が今後パキスタンの支援を行うとすれば、日本人としてではなく国を超えた機関の一員として関わりたいと思いました。


しかし、国際機関で勤務するためにはどこかしらのタイミングで大学院に行かなければいけないし、どこかで国際機関に関する仕事のキャリアを積まなければならないと知り、JICAのような機関に入りつつ大学院に行きました。この二つを終えた28歳頃のタイミングで結果としてWorld BankにYP (Young Professional, 幹部候補生)として就職したんです。


また、World Bankに所属中に、スタッフとしてより良い仕事をする為により専門性を高めたいと考えた結果、休職して最終的にPhDまで取るなど、実務と学ぶことを繰り返してきました。今も教員という仕事の傍ら、Asian Development Bankの財政・法務専門家として週に何日か仕事をしていて、実務はやめていない、今も学びと実務を繰り返していますよ!


ー 様々なことにチャレンジする姿は昔も今もお変わりないのですね!

World Bankで充実した時間を過ごされていたように感じますが、なぜ大学教員に転職されたのでしょうか?


先ほどの話とも少し被るんだけど、自分の中で学ぶことと実務は1:0ではないといいますか。「あれかこれか」ではなくて、あれもこれも」やりたい性格なんですね(笑)。World Bankはもう辞めたけど、引き続き、JICAや Asia Development Bankなどで仕事したいし、且つそれを研究や教育にも活かしたいしという、全てのいいとこどりがしたくて、それを全てやらせてもらえるのが大学だと思いました。


World Bankだと実務だけになってしまう。World Bankの業務は好きだったし不満を抱いていた訳ではないけど、それ以外にも好きな地域の好きな研究もやりたかったので、両立できる環境を求めた際にその答えとしては大学しかなかったですね!


ー 自身の興味関心の変化に合わせて様々な行動を起こされてきたグランダークさんの現時点での興味関心や今後のビジョン等がありましたら教えて頂けますでしょうか?


アイデンティティ、その中でも特にマイノリティですね。彼らが経済開発の中でどのように行動し、どのような扱いを受けていると考えているかについて興味があります。具体的に言うと、ムスリム社会における女性の役割や扱いなどです。JICA専門家として滞在したヨルダンなどの国に焦点を当てて研究していたこともあるし、これからはタイやマレーシアなど東南アジア諸国における経済開発とLGBTを研究テーマとして取り扱おうとしています。


常々大学で教員しつつ、研究しているなかで、いつのまにかマジョリティの考え方を当たり前のこととして議論することに対しての抵抗感があって、みんな考えているから私もだというような思考方式に違和感があるので、少数派といわれる人の考え方に関心があるし、彼らがちゃんと扱われてほしいし、活躍してほしいと思っています。


ー 私たちになじみのないマイノリティについて考えることも大切ですね!

グランダークさんが、このような個々人のあり方に興味をもった背景には、JICAまたは世界銀行でのご活動が関係しているのですか?


結局は、JICAや世界銀行も相手にするのは色んな分野の個人ですね。クライアントが政府の役人でも、実際にプロジェクトで見なきゃいけないのは、コミュニティの人々です。さらにリサーチャーとしてみたら、もっと地面に下がってくるというか・・・。一人一人の個人に焦点が当たってくるので。だから、世界銀行やJICAでは政府にしか向かなかった視点が、リサーチを通じて全体に広がっている感じがします!


ー グランダークさんは、国際機関にお勤めされた経験があって、紛争や平和構築について、実務とリサーチで知見を得ていると当事者意識で考える機会が多いと思います。ただ、私たちのような大学生は、こういうことについての当事者意識が少ないと感じていて、この課題についてどうお考えなのか、どのように当事者意識を持つべきか、お伺いしたいです。


自分はフランス留学の経験がなかったら、ロンドンとかパリにしか興味がなかったと思うんですね。だから、やっぱり機会を見つけて体験するということが大事だと思います。ただ、コロナ禍ではリスクを伴いますよね。


ー そうですね。そういった場合は、日ごろから主体的に考えることなどが大切でしょうか?


YouTubeなどの疑似体験が出来る媒体を取り込んで、その中で体験するということですね。それと、MicroFinanceやMicroCreditとかは、日本にも団体があるんですよね!例えば、グラミンバンクの日本支部などに話を聞きに行くだけでもかなり視野が広がると思います。


でも、今は開発のテーマが国内にどんどん出てきてるんです。日本国内にも目を向けてみると、まだまだ所謂SDGsの問題はいっぱい転がっているんです。簡単に海外に行けない間は国内に目を向けて、貧困や不平等の問題は身近にあるということを考えるべきですね。


学生との関わり 

〜”生涯一学生”として~


ー 確かに国内の不平等を考えるだけでも視野は広まると思います。実際にゼミの海外研究※などでは、主体的に体験する機会があるのでしょうか?


今までゼミで行っていた地域は様々で、その都度学生の希望を聞いて、テーマを決めて、体験を出来るようにしていたんです。特に、インドでは現地のNGOの知り合いに協力を仰いで、農村で日本のNGOがどのような活動をしているのかを見て、一部体験しました。貧困とは何かを実体験するだけではなく、実際に手伝って貢献することを通じて何かを得る目的があります。インドに行って体験するだけで、何らかの自信にもなりますね。


あるいは、(校外実習中は)苦労をする1, 2週間なので、一種の「被害者意識」も芽生えるし、(ゼミ生とは)サバイバルを乗り越えた仲間意識が生まれる、という教育的な意味もあります。国際教養学部の場合、ゼミは1年半しかないので、その短い期間を充実させるためにもこの活動を取り入れてみたんです。

早稲田_大門毅教授インタビュー
ゼミ活動の一環として海外(インド、インドネシア、ミャンマー、東ティモール)、国内(沖縄)にて研修旅行を実施

グランダークさんが担当されている「開発経済」の授業で行った「校外実習」の施設見学の時の様子だそうです!!


ー これらの体験活動を通して、ゼミ生からはどのような言葉を受けていますか?


インドのような国に行った人からは「サバイバルでした」という意見を聞きます(笑)。ミャンマーの時はまた別の文脈で行って、企業訪問とか行ったのですが、その際に知り合った現地企業をつてに、今、関連企業で働いている元ゼミ生もいます。ある種就活にも役立っていますね!


ー 一人ひとりのキャリア形成にも通じているんですね!また、ゼミに関連して、生徒とのフランクな関係で進めておられる姿勢に興味をもちました。


そうですね、理想はね(笑)。元々私は、実務の人間で、教員と生徒という関係にはやっぱりどこか違和感があるんです。実は、約20年経って、その気持ち悪さは殆どなくなってきちゃったんですが。


でも、やっぱり原点に立ち戻ると、自分が目指してたのは教授ではないし、開発という問題に取り組みたいことから出発して、世銀エコノミストになるという夢を叶えてから開発一筋できたのですが、世界の平和と開発を実現しようという目標を実現するのに、教員と生徒という立場の違いもないのかな、と思ってます。


しかも、私が所属したゼミの教授が「生涯一学生である」という考え方をおっしゃられていて、学生として学んだことを皆さんに教えていく、という姿勢に感銘して、得るところが大きいなと感じたんですね。なので、同じ精神を受け継ぎたいなと思ってます。ただ、実際に「くん」と呼ばれたときはよかったなと思う反面、恥ずかしさもありました(笑)。


ー ただ、ラフな関係だからこそ、学生の立場からするとグランダークさんと接しやすいと感じます!


そうですね!今、自宅とは別の大学に近い場所で、大学とは無関係の友人とルームシェアしているのですが、相手は20代後半でお互いタメ口です(笑)。本当はゼミ生との間でもそうありたいんですけど・・・。大教室だとさん付け・くん付けは出来ないけど、ゼミでは少人数だからこそ出来る関係を維持したいな、と思うんですよね。


ー そうなんですね!では、最後に座右の銘と学生へのメッセージを頂戴したいと思います。座右の銘から伺ってもいいでしょうか?


先ほど述べたように恩師の座右の銘でもあるんですが、「生涯一学生」という言葉ですかね。私のゼミの先生は当時の言葉で「書生」と使ったのですが、学生の立場で何かやりたいなと思うんです。原点に帰らなきゃという意味で心得ています。


ー グランダークさんらしいお考えですね!続いて学生へのメッセージもお願いしたいです。


私の関心のある分野に関連するのですが、マイノリティの立場に置かれることがあっても、マイノリティであることを恐れないことです。今はマイノリティだとしても、ゆくゆくはマジョリティになるかもしれないし、凄く良い意見かもしれない。少数が間違っているのではなく、全体が間違っていることも大いにあるので。


社会人になったら色々と気にしないといけないですが、学生のうちくらいはマイノリティであることをむしろ誇りに思って、それを何らかの形で表現してもらいたいですね。特に早稲田らしさはそこにあるのかなと思います。いい意味で亜流であることに誇りを持ってほしいです。


ー 早稲田生として誇りをもって生きていきます!本日は大変貴重なお話をしてくださりありがとうございました。


教員プロフィール

担当科目(2020年現在)

・Introduction to Microeconomics

・Cost- Benefit Analysis

・Law and Economics

・Economic Development

・Seminar on Economy and Business

・Intermediate Seminar 03

・First Year Seminar A

・国際開発金融論(大学院アジア太平洋研究科)

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