早稲田大学政治経済学術院教授 / 学校法人早稲田大学副総長
専門
政治経済学 / 公共経済学 / 社会的選択理論
今回は、早稲田大学政治経済学部教授であり、早稲田大学副総長も務められている須賀晃一先生のインタビューです。研究熱心で常に学生思いの須賀教授。ご専門に関するお話はもちろんのこと、副総長としてのお考えもお伺いすることができました。普段は聞けないような、「教授の世界」に関する貴重なお話も必見です!
学生時代
~一橋大学経済学部での生活~
ー 学生時代から経済学を専門とされていますが、経済学に興味を持たれたきっかけは何ですか?
僕は大分県中津市の出身で、実家が洋服屋だったんです。親父の洋服屋は、自分の店と博多のデパートの下請け、両方をやっていた。その時に一番感じたのは、なぜ中小企業ってこんなに大変なんだろう、日本の中小企業はなぜ貧しいのだろうっていう事だった。この格差は一体何なんだろうという疑問から経済学を勉強しようって思った。
あと、もう一つは、いつかは実家の洋服屋を僕が継ぐのかなという思いもあったので、勉強するなら経済か経営だなと考えたんだけど、すぐに商売の勉強はしたくなかったこともあって、経済を勉強しようと思いました。
ー 一橋大学経済学部での学生生活のご様子をお伺いしたいです!
まずは東京にきて驚いた(笑)。周りの人たちがすごく偉く見えたね。昔は浪人生も多かったので、大体僕の同級生のうち半分くらいが浪人生で、一歳上だから、やっぱりみんな色んな事を学んでいて驚いた。正直周りの学生はすごいなあって、関心したところから始まったような気がします。
もう一つは、方言でしか話してこなかった人間が標準語を覚える、これは結構大変だったというのがあるかもしれない(笑)。
ー サークル活動などの課外活動はされていましたか?
ボート部に二週間程度かな、入ってたよ(笑)。僕は高校一年生の時に腰を痛めてしまって、頑張っていた部活も出来なくなった。大学でまた何かやってみようと思って入ったけど、またおかしくなっちゃって病院に通う事になった。入ったか入ってないか分からないうちに辞めちゃったから、サークルとかそういう活動とは基本的にあまり縁がなかったという感じです。
でも昔は、クラス単位で授業以外の活動とかもやっていたので、一年生の時のドイツ語のクラスで会った友達と遊んだりしてたね。クラスの中に6、7人仲のいい子がいて、未だに年に一回は会ってる。だからサークルとかそういうのは無かったけど、そのメンツとよくだべってた(笑)。アパートに一人暮らししてたから、みんなで集まってドンチャン騒ぎして、いつも下の住人に叱られたりしてたね(笑)。
ー 微笑ましいです(笑)。
でもね、そういう時にも、みんな偉いな~すごいな~と思った。昔、筑紫哲也さんというジャーナリストが編集をしていた『朝日ジャーナル』という雑誌があって、そこには当時の学生が議論したい様な社会問題についていっぱい記事や論説が掲載されてて、それを使ってよくみんなで話したりしてた。僕がまともに考えたこともないなって事も、浪人生は盛んに議論していて、これが大学生なのかなと自覚した感じでしたね~。
教員の道へ
ー 先生は大学・大学院卒業後に一般企業への就職などは考えられましたか?
うん。大学に入ってから、家業を継がないんだったら、何をしようかって考えて、商社に行きたいなって思ってた。世界中には色んなモノがあるじゃない。世界中飛び回って、そういうものを集めて、「こんな便利なモノがある」「こんな面白いモノがある!」ってみんなに提供する。そんな商社の仕事がしたいなあって思ったんだよね。
ー なるほど!最終的になぜ教員の道に進まれたのですか?
最初にも言ったように、大学に入って、腰痛の関係で二週間でボート部を辞める事になった。病院通いを始めて、これでは商社マンは絶対無理だなって思った。それで、どうやって今の体で好きなことが出来るかなって考えた時に、机についてて出来る事がいいなと。それから、じゃあ憧れの研究者になるかっていう風に決めたんだよね。昔からの疑問もあったし。
ー 教員の世界というのは正直、年功序列や縦社会と言った厳しい世界なイメージがあるのですが、教員になる上で苦労したことはありますか?
いやあこれは大変だった(笑)。でも、今の人たちの方がもっと大変だよ。僕の時はまだ就職しやすかった時期だけど、それでも大学院を出て、すぐには仕事は見つからない。大学院を出た次の年に、亜細亜大学に採用され4年間勤めた。その後に九州の福岡大学に12年間いて、その後2000年から早稲田に来たという流れ。この世界の一番大変なのは、結局業績本位なんだということ。つまり、はったりが効かない訳だ(笑)。
ー そうですよね、、、(笑)。
教授になる為の選考というのは、最初はまあ業績を中心とした書類審査を行って、最終選考くらいの時に研究発表と模擬講義をやって残れるかどうかが決まる。かなり大変な作業だよね。早稲田に入る選考の時は最初応募者が18人位いたかな。そこからどんどん振るいにかけられていく、、(笑)。最近の早稲田大学では、研究力を高めるためにますます研究業績を重んじるようになって、選考は厳しくなっているんじゃないかな。
ー そうなんですね(汗)。
そう。あとは逆に、その競争に勝ち残った人が本当に早稲田大学に貢献してくれるのかという点も考えないといけない。研究活動と教職活動の両立が出来るかというところ。やっぱり早稲田に対して愛着を持って、学生を育てるという仕事はしっかりやってもらわないとね。これは大学の人事みたいなところ..で特に重要だ(笑)。まあ、学者の世界の難しいところです(笑)。
ー 普段聞けないようなお話で、興味深いです!副総長としてのお考えにも、通じる部分がありますか?
そうだね。副総長は学校のマネジメントをすると共に、学生のために何かしたいっていう気持ちが大事だね。
経済学の世界
~公共経済学と社会的選択理論~
ー 経済という幅広い学問の中でも先生が「公共経済学」や「社会的選択理論」の分野に絞られた理由はなんですか?
学生時代のゼミは、今でいうミクロ経済学・数理経済学を扱うゼミに入っていたんだけど、卒業論文を書く時に厚生経済学の方に入っていった感じ。
今は厚生経済学という言葉はほとんど使わなくて、むしろ公共経済学の規範的な部分(べき論)を扱っているものというイメージなんだ。厚生経済学とか、社会的選択理論をやる理由は「べき論」を扱う領域だから。
ー と言いますと?
「~するべきである」っていう経済学の中に良くでてくる「べき論」ってよく分からないけど適当に使ってるじゃない?「分析の結果、こうである。よって、こうすべきです。」これって考えてみたら、相当いんちきだよね。
ー はい、、、(笑)。
学生が「成績が悪い。だから勉強しろ。」って言われて素直に「はい」って答えて勉強するかって言ったら、違うでしょ。そんな単純じゃないんだよね。それと同じで「~であるから、~すべきである」っていうのは、インチキだなって思う。
やっぱり「~すべきである」のは何故なのかという理由をきちんと議論をたてて説明しなければならないって思うんだよ。「貧困を無くすべきである、格差を無くすべきである」って言う「べき論」の背景にある「なぜ無くすべきなのか」ここの部分の理屈をしっかりつけなきゃいけないって思ったときに、こういう理屈を考えられる領域は厚生経済学(公共経済学)しかないことがわかった。
その理屈を導き出すのに、有効だったのが「社会にとって望ましいのは何か」という事を考える社会的選択理論だったので、それを専門にしようと思った。
ー 公共経済学というと国家のマクロ的政策とか、いわゆる公共機関の経済政策という観点から興味を持つ学生もいると思うのですが、、、。
そうだね。公共経済学の公共が指すもので一番わかりやすいのは、公共的な活動をしている政府。でも「政府がなぜ必要か」という理論的な基礎を考えようと思ったら、やっぱり厚生経済学的な「なぜ政府じゃないといけないのか」という所を説明するアプローチは絶対必要になる。
ー 勉強になります。先生はゼミで計量経済学を用いた、実証の分野も携われていますよね。
そうだね。でも実証の部分はゼミ生がやってみたいって言ったから始めたんだよ(笑)。そしたらISFJっていう政策提言コンクールがあって、そこに参加することで実証と規範を組み合わせた感じです。
ー 先生がゼミを行う上で意識していることはありますか?
ゼミでは経済学を学ぶだけではなく社会をみる態度を養って欲しいな。経済学はあくまでも道具だから。社会を考えるきっかけと方法を学生のうちに身につけて欲しいです。
学生に向けて
ー 先生の紹介ページに”学生に送る言葉”として「人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜん」という故事成語を挙げられていますが、その理由はなんですか?
これは何かをするときには結果だけを求めてはいけないということ。結果を残したいとか、そういう動機ではなくて、ただ素直に何かに興味を持って没頭する。そうすると自然と結果はついてくる、という感じです。だから、何かやりたい事があったら、それに突き進むべきだと思う。本来は、相手の心意気に感じて、結果を求めず仕事するという意味だけどね。
ー なるほど、こう思われた原体験などはあるんですか?
鈴村興太郎先生(*)という、一橋大学の大学院を出た後に知り合った恩師がいるんですが、僕はその先生から初対面の助手の試験で落とされたんです。その時にこれで終わっちゃいけないって思ったんだよね。だから、落とされたけども、直接話に行って、ゼミに参加させてもらって、研究の厳しさを教わって(笑)。それから、鈴村先生に感化されてひたすら勉強しました。鈴村先生に認められるようになれたかどうか分からないけど、先生との出会いは、本当に僕にとって大きかった。今年の1月にお亡くなりになるまで、本当に色んな事を学ばせてもらった。今なお、鈴村先生の研究からたくさん学ばせてもらっています。
(*鈴村興太郎先生:一橋大学名誉教授。早稲田大学名誉教授。ケネス・アロー、アマルティア・センなど、世界的な経済学者たちとともに厚生経済学、社会的選択理論において最先端の研究をされていた方。)
ー 須賀先生にもそんな過去があったんですね。鈴村教授との出会いのお話は、わせいろの活動理念にも通じるお話の様に感じます!
そうだね!いろんな教授に会っておくといいよ。学生のうちは無礼なことがあってもまだ平気だから(笑)。話したいと思ったら、どんどん話を聞きに行ってみるといい。
ー はい!これからも色んな教員のお話をお伺いしたいと思います!(笑)。最後に学生に今、伝えたい事があればお伺いしたいです!
ずっと言っているように、やりたいと思ったり、興味が湧いた事はやってみること。学生のうちは、よく「視野を広げよう」と言うけれど、視野を広げる事に全力を尽くす前に出来る事を一生懸命やるのも大事だと思う。そのためには、自分が何に注力すべきか分かっておく事だね。むしろ学生の時の方が、何かに集中して一点突破するみたいな事が出来ると思うから(笑)。
須賀先生とのインタビューは、学生生活に関しても、わせいろの活動に関しても前向きに取り組んでいこうと思えるお話ばかりでした!
貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!
教員プロフィール
担当科目(2020年現在)
・プレ国際政治経済学演習
・国際政治経済学演習
・公共経済学専門研究セミナー / 公共経済学研究指導(大学院)
須賀晃一研究室 HP
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