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高原大輝

長谷正人先生 後編

更新日:2021年8月13日


文化構想学部を中心に講義をされている長谷正人先生にインタビューを行いました。今回は人生訓、学生へのメッセージを語っていただきました。

Part 1とあわせて、ご覧下さい。

早稲田大学_長谷先生
先生の授業のご様子



好きは変わる

- どのような学生に講義を受けてほしいですか?


学生に対する希望はとくにないです(笑)。むしろいろいろな学生に受講してもらったほうが、授業への反応の年ごとの変化を通して、時代の変化を感じ取ることができるので有り難いです。


早稲田大学では幸いにも私語のない授業をやらせてもらえて本当に恵まれているから、いかに自分の授業を少しでも良いものにするかということしか考えていません。ですので、学生にこうあってほしいという理想はないですね。


- 学生の変化を感じられているのですね。


学生の反応から社会の変化に気が付けるわけだから、学生にはできるだけ新しい情報を教えてほしいというのはちょっとあるかな。こういう映画面白いですよとかこういうテレビ番組が面白いですとか。


- 確かに流行に敏感な学生は教授とは違う情報を持っているかもしれないです。


私たち大人がくだらないと思っていることでも、学生たちが凄いと思っているのなら、それなりの凄さが絶対あるんだって思う。だから、学生がうまく言えていないその凄さを私も勉強して一緒に考えたいです。


-最近は夢中になるものがない学生も多い気がします。


夢中になるのも確かに大事だけど、むしろ自分の変化を受け入れる柔軟さが大切だと思います。自分がこういうことが好きな人間だっていうことに拘らないで欲しい


ジャニーズでもディズニーでもアニメでも、何かに憧れたり、夢中になったりすることで自分はこういう人間なんだって思い込みすぎてる感じがするんで、むしろ自分の趣味や好みなんてどんどん変わっていいのにって思います。


- 確かに熱中するあまり視野が狭くなることがあります。


私は十代にはわざと嫌いなものばかり観たり聴いたりしてたと思います。映画を好みと関係なく全部観るっていうのもそういうことだったんじゃないかな。嫌いなものをなぜ自分は嫌いかって考えたい。なぜこれは駄目なのかを言えるようにならなきゃ駄目だって思ってました


音楽でも中高時代6年間に全米トップ40を1位から40位まで、あらゆるジャンルの曲をラジオで聞き続けたんです。そうすると最初は聞き慣れないから嫌いだって思っていた曲が段々慣れてしまうと良い曲だなって感じることがよくありました。


- 考えてみると聞いているうちに好きになった経験が多いですね。


これが自分は好きだとか断定しているのは嘘だと思うんですよ(笑)。自分をそんなに簡単に決めないでほしい。出会いを大事にするってことも同じで、まだ凄い人やものに出会うかもしれないっていう心の余白を持っていて欲しい。どんな場所にも尊敬すべき人は必ずいるんだと思います。


- 尊敬する人を見つけようとするということでしょうか?


見つけるというか、出会いを受け入れるような余裕を持っていてほしい。だってどうやったら見つかるかっていう答えなんてないじゃないですか。むしろ自分でも分からない理由で不意に尊敬(や恋愛)は始まるんじゃないですかね。だから「私はこれが好き」っていう断言がすごく気になるんですよ。好きって断言すると視野が狭くなるんじゃないかって。何だかそう言うことで学生たちは、自分たちを守ろうとしてるだけなんじゃないかって見えてくる。好きなものなんていくらでも変わるっていうことを学生たちには言いたいですね。



学生へのメッセージ

- 学生時代にやっておくと良いことは何でしょうか?


誰でも言うけど、視野を広げたほうがいいよね。例えば私は生まれ育った関東から大阪の大学院に4年間行っただけで視野は広がりましたね。文化や習慣が全く違うから、国内に留学したようなもんだったと思います。


特に大阪の深夜テレビのトーク番組の面白さに衝撃を受けて、その時の経験が今のテレビ研究に繋がってると思います。テレビってこういうもんだと思っていた常識が崩れて、こんなに自由でいいんだと感じました。あとは街歩いてるときに、みんなが赤信号守らないことも衝撃的でしたね。


- 自分も出身が名古屋なんですが、東京来た時に信号をすごい守ることにびっくりしました。


そういった出会いによって自分が変化してしまうことを恐れないという姿勢が大事なことだなって自分の経験から思っています。


- 先生の好きな言葉を教えていただきたいです。


うーん。「安心して絶望できる人生 」かな。


(『新・安心して絶望できる人生ー「当時者研究」という世界』向谷地生良 - 麦出版社)


- この言葉はどう解釈すればいいのでしょうか?


元は向谷地生良っていう、精神障碍者たちの自立生活運動を北海道の浦河でやっているお医者さんの言葉です。どういう意味かというと、絶望から無理に立ち直ろうとするんじゃなくて、みんなで安心して絶望したまま生きましょうって言う感じかな。


私たちは、コンプレックスとか自分は駄目なんだっていう気持ちからなかなか逃げられない。だから、絶望してても安心していられる場所を作ってしまえばいいっていう発想なんです。


- 安心して絶望する・・・。


実はこの言葉、平昌五輪で銅メダルを獲ったカーリングの吉田知那美選手が好きな言葉としてテレビで紹介していたんです。彼女はその前のソチ五輪にも違うチームで出場して本人も活躍して5位になったんですが、大会中にコーチからチームの方針転換で戦力外通告を申し渡されて絶望のどん底に陥ったそうなんです。


- 強烈な挫折経験だと思います。


その後、吉田選手が入ったロコ・ソラーレっていうチームに僕はすごい興味をもってるんです。他の女子カーリング・チームは大企業がやってるんですが、ロコ・ソラーレは地元のサポートで成り立っているクラブチームなんで10年前に本橋麻里が地元に帰って作ったときには練習時間もろくにないような非常に厳しい状態だったんですよ。実は本橋は他のチーム編成から落ちこぼれてきた人ばかりを集めて、チームの方針を立てるよりもそれぞれのメンバーの個性を生かすような独特のチーム作りをして強くなっていったんです。だから傷ついて自信喪失していた吉田知那美にとってはまさに安心して絶望できる場所だったんだと思います。


- 絶望の持つパワーに圧倒されます。そして、先生のカーリング愛が伝わってきました(笑)。


- 最後に、コロナ禍での学生生活の過ごし方について学生へメッセージをいただけますか?


辛いでしょうけど、あえて言えば、大変な逆境を生きたって今後ずっと自慢できるじゃないかって励ましたい一生ネタにできる。こういう発想こそ「安心して絶望できる人生」なんですよ(笑)。確かにいまは絶望してるけど、他のみんなもそうなんだから、そういう人たちと今後集まって、辛かったことを共有できます。さあ就活って時にコロナが来た学生には、正直かける言葉も無いです。ただ、自分だけの不幸じゃないってことは言える。


- オンライン授業は先生方にとっても大変だったと思います。


コロナで学生はパソコン授業を漫然と眺めてるだけじゃ退屈するだろうなって気の毒になっちゃって、春学期の授業はすごく一生懸命やっちゃったんですよ。そしたら、受ける学生も一生懸命やってくれたように感じました。


- そうですね(笑)。


だから、好循環になってとても良い授業になった。コロナ禍でなければ教室の授業なんて別に退屈であっても良いと思うんです。終わってすぐサークルやバイトの充実した場所に行けば良いんだから。だけど、zoom授業をパソコンでバチって切ると自分の家の退屈な日常に戻るっていうのはすごく気の毒だと思ったので、もう一生懸命サービスしようといつもの何倍も頑張ってしまいました。秋学期の授業でも色々工夫してるけど私も学生も春学期のパッションはなくなって日常に戻ってるような感じがします。それはそれで仕方ないですね。


内容からはもちろん真剣に、そして誠実にインタビューを受けてくださる姿からとても学生への愛を感じました。長谷先生、貴重なお時間を頂きありがとうございました。


教員プロフィール

担当科目(2020年12月現在)

・基礎講義

・メディア論1・2

・映像メディアの社会学

・テレビ文化論

・表象・メディア論系演習(複製メディア論1・2)

・メディア社会論ゼミ

・マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて

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