社会科学総合学術院 教授(社会科学部・大学院社会科学研究科)
専門
国際協力 / 平和構築 / 国際関係 / 東南アジア政治
今回は、早稲田大学社会科学総合学術院教授で早稲田大学地域・地域間研究機構アジア・ヒューマン・コミュニティ(AHC)研究所所長である山田満教授へのインタビューです。
国際関係、国際協力、平和構築分野において豊富な経験をお持ちの山田先生からためになる貴重なお話を沢山聞くことが出来ました。
目次
学生時代について
教員という職の選択
学生へのメッセージ
学生時代
~海外経験の中で得た想い~
ー 山田先生は大学にて国際協力・平和構築を研究されていると思いますが、その専門分野を選択したきっかけはありますでしょうか?
大学生の時にバックパッカーのようなことをして、当時1ドル308円の時代に初めて海外に出ました。羽田から飛行機を乗り継いで、いくつかの国を経由して最終的にアフガニスタンを目指したのです。バキスタンのラホールからはアレクサンダー大王が通ったというカイバル峠、シルクロードを同様の目的の欧米人と共にピックアップトラックをチャーターして、アフガニスタンに行ったんです。当時は、まだ1979年のソ連が侵攻する前だったので、平和で綺麗なオアシスのような国でした。アフガニスタンで医療活動に従事されていた中村哲氏※も、私と同じように、平和で綺麗なアフガニスタンを取り戻したいという思いで活動されていたと思います。このような経験が私自身に途上国で何か活動したいという大きなきっかけになったと思います。
※中村哲氏:ペシャワール会の現地代表やピース・ジャパン・メディカル・サービスの総院長として、長年パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事されていた医師。2019年、アフガニスタンにて武装勢力に銃撃され死去した。
ー アメリカの大学院に留学された理由はありますでしょうか?
今でこそ、私もゼミ生らに国際性を身に着けるためには、色々な国に留学することを薦めているけど、当時は留学といえばやっぱり欧米でした。世界の中心と言われるアメリカに行って、色んな人たちとの交流の経験をしてみたい想いがありました。
ただそんな恵まれた環境にいたわけではありませんでした。皆さんが知っているようなアメリカの東部や西部の有名大学に行けるような経済的余裕はなかったので、中西部の田舎の州立大学に進学しました。
ー そうだったんですね。具体的にどういったことが大変だと感じましたか?
そりゃ、もう物価の違いですね。留学時は1ドル250円だったから、例えば今だったらハンバーガーが2個食べられるけど、当時は1個しか食べられない時代の為替レートでした。大体1日1ドル以下で過ごしていました。食べ物に関しては基本自炊していました。
後は授業についていくことに必死だったから、大体深夜まで図書館にこもって勉強していましたね。
ー やはり、勉学の面でも大変でしたか?
私が留学していた1980年代初頭は今のように留学が当たり前の時代ではなかったのです。留学する人は恵まれている人が殆どで、後は企業から派遣されている人、背水の陣で来ている人の大きく3パターンでした。
私は背水の陣で留学していたグループで、とにかく日々勉強でしたね。アメリカは寛容な国で留学生にも授業料免除や奨学金を供与してくれました。私もそれを貰っていましたが、GPAの基準があって、確か最低でもB+以上でないと奨学金が切られてしまうので、必死でしたね(笑)。
ー そうだったんですね・・・その中でも、海外留学をして良かったと感じる点はありますか?
何よりも前から海外を見てみたいという思いが強かったのです。今までアジアを見てきたから、今度は欧米を見たいという思いがありました。留学中も時々安い各駅停車のような飛行機に乗ってニューヨークに行きました。こんなふうに色々知らない世界を見たという経験は、私の世代では割と少なかったので、それは凄くいい経験でしたね。
ー そうですよね。留学を経験することで自身の視野が広がるというのは、山田教授の経験からとても伝わりました!
教員という職の選択
~NGO活動と共に~
ー 今までのお話から、国際協力という面で、豊富な経験をもとに教職以外の選択肢もあったのではと感じたのですが、教職という道を選択された背景は何でしょうか?
当時アメリカの大学院を修了して国連に就職する機会もありましたが、バックパッカーの経験を後押ししてくれたのが高校時代の先生で、また、私自身の兄弟も学校の先生が多かったので、教員の道を選びました。そこで、高校の教師をしながら、土日や夕方からはNGOの活動に参加しました。
日本は実務と研究を切り分けようとしていて、アカデミックな領域と実践的な活動の接点がないまま研究者になる人が多いです。その意味で、私は特異な存在だったかなと思います。
ー NGOではどのような活動をされていたのですか?
NGOの活動というのは、最終的に社会を変革するというのが目的です。場合によっては政治に関わることもありましたが、社会が直面する諸問題の解決に向けて、世界の色々な国の人々とのネットワークを通じて活動を行いました。具体的には、1980年代後半にはフェアトレード関連の活動にボランティアとして関わっていました。1990年代後半からは、国際NGOのメンバーとして、選挙監視活動などを通してアジアの民主化や人権の支援をしました。
また、日本社会の顔の見える支援の一環として、PKOや外務省の支援、JICAのプロジェクトのお手伝いもしました。これらの経験を背景に平和構築研究を本格的に始めたわけです。
ー 教授の傍ら様々なことに関わられているんですね!こういった経験が大学教授にどのように活かされているとお感じですか?
一つは80年代から継続しているスタディツアーがあります。先程述べたフェアトレードの現地生産拠点に学生を連れて行って、生産者との交流を通じて、どのようにしてその製品が出来ていくのかを理解し、学生が現場で学んだ経験と知見を持ち帰って、フェアトレードの活動にフィードバックしてもらう。
もちろん、学生自身の研究や今後のライフプランなどにも反映してもらっています。選挙監視活動に参加する機会も提供しています。社学のインターンシップ先にもなっています。また、私のフィールドである東ティモールにゼミ生を連れて行き、紛争後の平和構築や国家建設を現場で考えてもらうような機会もつくっています。
ー 大変貴重な機会ですね!どういった学生が参加されるのですか?
そうですね、インカレの国際協力系の団体に属する学生や、早稲田では私のゼミ生だけではなく、「紛争解決論実習」という正規科目の履修生を連れて行きます。オープン科目ですから、他学部生や大学院生も参加します。その結果、大学を超えた参加者間のネットワークもできています。
山田先生が「紛争解決論実習」でカンボジアに行かれた時のお写真です。実際に地雷除去現場で作業しているスタッフの方のコスチュームです!
ー 参加された学生はどういった方向に進まれるのですか?
大学の教員になった人もいるし、国連のDPKO※でニューヨークにいる人もいるし、PKOの現場で活躍している人も、ジャーナリストもいます。もちろん、国際色豊かな企業で働く者もいます。本当に様々なところで自分のキャリアを活かしていますね。東ティモールに連れて行った学生同士の結婚もあります。東ティモールの最初のJOCV※派遣は研修参加者でした。
ちょうど数日前にユニセフで働いている教え子から、「マラウイからトルコの事務所に移動しました」という近況報告が届きました。彼女も東ティモールのスタディツアーが出発点でした。私のネットワークをうまく利用しながら自らのキャリアを拡大していく卒業生が多いです。
※DPKO (Department of Peacekeeping Operations):国連平和維持活動(国連PKO)の本部
※JOCV (Japan Overseas Cooperation Volunteers 青年海外協力隊):日本国政府が行う政府開発援助 (ODA) の一環として、外務省所管の独立行政法人国際協力機構 (JICA) が実施する海外ボランティア派遣制度である。
ー 世界的に活躍されている方が多くいらっしゃるのですね!今後はどのような学生に参加してほしいでしょうか?
私が国際協力の人材育成で前からずっと思っていることは、彼ら彼女らの背中を後ろから押してあげることです。何かやりたい!挑戦したい!けど、どうすれば良いか分からないという人が沢山いるのではないでしょうか。
そういう人の手助けをしてあげる、背中を押してあげるというのが私の仕事です。何かを掴みたいけどあと一歩を踏み出せない、という人に私のスタディツアーに参加することで、自分の夢に向かって踏み出す機会になればいいなと思っています。
ー こういった国際協力や平和構築に関わる学生はもともとグローバル意識の高い学生のように感じます。逆に、グローバルに関心のない学生が国際協力について学ぶことの意義はありますか?
かつてはグローバルとローカルの線引きがありましたが、今は大きな壁がないですよね。例えば、貧困問題がかつては先進国対途上国の問題でしたが、現在では先進国の中でも貧困などの格差や不平等の問題が起きています。当初国際的な問題に関心がなくても、国内のいろんな問題に取り組むことで最終的にはグローバルな問題へと活動が繋がると思います。
ー たしかに、日本にいたとしても国内の様々な問題を学ぶことは大切ですよね。ただ、紛争などの大きな問題となると、日本ではどうしても当事者意識が薄いという課題があるかと感じます。その点に関してどのようにお考えでしょうか?
若い世代はもっと想像力を持たなきゃいけないと感じます。スタディーツアーに参加したならば、紛争後の平和構築や開発問題は、セキュリティの担保があれば、現地を訪問することでより具体的なイメージが創れるわけです。そういう体験は平和や紛争問題に対してセンシティブになれます。
しかし、直接現地にいけない状況であっても、感性を磨きながら、難民の方やNGO、特派員の方の話を聞いたり、現地からのニュースを聞いたり読んだり、ドキュメンタリーを見たりすることで、自分には関係ないという意識を払拭できるのではないでしょうか。世界の中で何が起きているのか、自分たちと直接的間接的に何が関わっているのかを考えることはできます。これこそが想像力を磨くことにつながります。
ー こういった情報取集において気を付けるべきことはありますか?
今はYouTubeやSNSで沢山の情報が得られます。しかし、その一方で、情報過多の時代の中でどれが真実かということが見極めにくく、その点において皆さんの感性や知識を磨かなくてはならないと感じます。人間は、複雑なものを避ける習性があります。しかしいうまでもなく、私たちの置かれている環境は複雑です。
だからこそ、「わかりやすい、なるほど」という安易な結論は疑わなくてはいけない。大学に入ったからには、複雑な問題に逃げることなしに、正面から向き合うことです。友達や先生と授業やゼミなどを通じて議論し、一歩一歩複雑な紐を解いていくことで、真実を学んでほしいです。
ー ただ内容が内容なだけに私たち学生にとっては難しいことだと感じます・・・。
平和学では直接的暴力と構造的暴力があります。戦争や紛争などは直接的暴力ですが、私たちの社会をみると、実は差別、貧困、弾圧などの社会構造に根差す構造的暴力が拡散しています。ぜひ皆さんには広く構造的暴力までを視野に入れてもらいたいです。
政府のとる政策や日々の犯罪の背景は何だろうかということをみんなで議論し、自分との接点を見つけていくことで、感性は磨かれると思います。
実は私たちの周りには学ぶチャンスが沢山あるし、特に大学では、色んなことを学び自分の知的意欲と繋げる機会があって、それが広い意味の平和に繋がっていくことを理解してもらいたいです。
ー 今の時代、身近なことに対して自ら考え発信していくことは大切だと改めて認識しました!
学生へのメッセージ
ー 残りのお時間で、教授から学生へのお言葉を頂戴したいです。学生に伝えたい、座右の名はありますか?
毎回卒業生に伝えているのは、『人間万事塞翁が馬※』です。人生の中で落ち込んだり、やったー!と盛り上がったり、色々なことがありますよね。しかしそれは、上り調子の良い時は振り向かずに頑張るぞ!という気持ちになるけれど、何かで失敗した時や落ち込んだ時には、「どうしよう・・・もう駄目だ・・・」ってなってしまう?
ーはい、そうですね・・・。
そういう時には、『人間万事塞翁が馬』。つまり、そういう失敗や落ち込みっていうのは絶対他の何かに活かされる、違うチャンスに繋がるということ。例えば今はコロナウイルスで皆落ち込んだりしているけど、絶対コロナウイルスが明けた時には色々なチャンスが待っているはずです。
だからこそ、今踏ん張って頑張らないと。必ずチャンスというのは背中合わせにあるという事ですね。
ー山田先生ご自身もそういった経験があるのでしょうか?
それは私だって落ち込んだり溜息ついたりもします。でももう私くらいになってくると君たちみたいに未来が開けているという訳ではないです(笑)。私の将来の広がりはもう君たちほど大きくはないですよ。そういう意味では『人間万事塞翁が馬』という言葉はあまりもう私には関わりはないかもしれない。
君たちはこれから恋愛も含めて人間関係では、無限の選択肢があるから、落ち込んだり挫折したりすることもあると思う。でも落ち込んで終わりではなくて、その落ち込んだ先にチャンスがあるということを忘れないでいて欲しいですね。
※人間万事塞翁が馬:中国の思想書『淮南子』にある故事から転じた諺。人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
ーありがとうございます。その上で、山田先生から私達にアドバイスはありますでしょうか?
折角、大学に進学したのだから積極的に門を叩いて欲しいと思います。早稲田大学は大規模な私大であることは紛れもない事実です。全ての授業を少人数の討論やディベートを用いた、所謂参加型にすることは当分難しいでしょう。
しかし、ぜひ自身で教授と接点を持つために研究室の門を叩いて欲しいです。それが大学の教員と学生の関係性です。
ーなるほど・・・。
教授は授業では大人数の聴講型、知識伝達型の授業をせざるを得ない分、学生は積極的に少人数の授業やゼミを通じて、研究室の門を叩いていくことが大事だと思います。
全ての教授がそれを受け入れてくれるかどうかは分からないけれども、それこそ今回の「教授インタビュー」プロジェクトの様に、まずは自ら積極的な行動を起こして接点を作りに行く。ネットワークというのは様々な突破口をつくるはずです。
そういうネットワークを活用しつつ、最後は自分で決断をするということが大事です。卒業生に常に伝えている部分です。
ー 改めて、最後に学生へのメッセージをいただけますでしょうか。
今はコロナ禍で、アメリカの大統領ですら新型コロナウイルスに感染してしまうような時代で、批判はさておき、全ての人にとってコロナウイルスは脅威です。そういう意味では「自分だけ、私だけ」がということではないので、是非この危機をチャンスだと思って、次の展開に向けての準備を皆さんにして欲しいです。
オンラインなどで時間がある時に、一生懸命語学を磨いたり、本を沢山読んだり、友達と議論したり(対面で会うことが出来なくてもオンラインツールとかでね)、早稲田大学の学生として期待されていることを果たすためにも、コロナ禍が明けた時の為に準備をしておいて欲しいと思っています。
ー 沢山の挑戦を臆さず行ってきた山田先生ならではのメッセージですね。本日は貴重なお話をありがとうございました!
教員プロフィール
主な担当科目(2020年現在)
国際NGO協力論 社会科学部
平和構築論 社会科学部
ゼミナールI & Ⅱ・Ⅲ(国際協力と平和構築)社会科学部
Japan and Peacebuilding : UN Policies 社会科学部
International Cooperation and Peacebuilding 社会科学研究科&国際コミュニケーション研究科共同大学院科目
平和構築入門 グローバルエデュケーションセンター
出版本等
早稲田大学社会科学総合学術院教授。博士(政治学)。早稲田大学地域・地域間研究機構アジア・ヒューマン・コミュニティ(AHC)研究所所長。専門は、国際関係論、国際協力論、平和構築論、東南アジア政治論。主著:『東南アジアの紛争予防と「人間の安全保障」』(編著、明石書店、2017年)、『「一帯一路」時代のASEAN』(共編著、明石書店、2020年)など多数。
早稲田大学研究者データベース URL
早稲田 大学地域・地域間研究機構 URL
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