教育・総合科学学術院 教授
専門
社会学 / メディア・文化研究
今回は、伊藤守先生にインタビューをさせていただきました!
伊藤先生のご専門は、メディア学です。みなさんはメディア学をご存知でしょうか??
メディアを研究することが世の中を紐解くことにつながると伊藤先生はおっしゃいます。SNSなどで個人が自由に意思表明できる時代で、市民は世の中の決定事項に関与できるという重大な役割を担っています。またネット上の「バッシング」や「炎上」など様々な問題も生まれています。そうした変化を分析するメディア学をご専門とされている伊藤先生が、教員生活から学生へのメッセージまで貴重なお話をしてくださいました。
早稲田での教員生活
ー早稲田ではどのような学生を育成したいと考えていますか?
学生には、複眼的な視点を身につけてもらいたいな。今の社会は1つの視点からだけでは様々な課題を解決できないでしょう。例えば企業に勤めたとして、収益を向上させるだけでなく、企業自体が地球温暖化に対してどう対応していくか考えざるをえない時代です。それには法学や経済学の視点はもちろん環境問題や生態系の知識も必要になります。企業活動を社会に対してアピールして、多くの市民に知ってもらうためにはメディア学の視点も必要となってくる。だからこそ、多様な分野を多角的に学んで、自分の専門として2つの分野くらいはもってほしいですね。
ー自分の専門を2つ抱えて働くのは、自信が持てますね!
はい。学生の立場からみると、大学に入学した時期に、この分野を学びたいというはっきりとした目標を持っている学生は少ないと思うんですよ。自分の特性や関心がどこにあるのかを1・2年考えた後で、3年時以降に自分の専門分野を決めていく。公共市民学専修の場合は、メディア学、経済学、政治学、法律学、社会学という様々な分野を揃えているし、フィールドワークをしたい学生や、座学で学びを深めたい学生にも対応できるカリキュラムがある。それが公共市民学専修の魅力の一つですね。学生が自分の関心に合わせて専門分野を選択できるということです。
ー最低2つの柱を手に入れながら、複合的な視野の獲得を目指してということなのですね。先生が講義中に2つの柱とおっしゃっていたことを今でも覚えています。
そうそう。もちろん自分の関心を2つに絞る必要はないので、これも関心がある、あの領域にも関心があるという風に、関心を狭めることなく、とにかく広めていくような学生生活を送ってもらえたらいいんじゃないかなと思います。
ー授業についてはどのような工夫をされていますか?
自分で自覚してどう工夫してるのか、言葉にするのは難しいけれども(笑)。常々、学生にはこう話しています。こちらがルールを教えるのは、つまりこれまでの研究や方法や理論を教えるのは、君たちが学問というフィールドで試合をするためだ、と。そういう話をします。論理的に考えていく、データを大事にする、こうした基本的な思考力を持つ。その上で、自分がこういう研究をしたいと考えて、フィールドに立つ。そのことを手探りでもいいからやってみる。それが大事だと思う。
例えば、サッカーの試合をスタジアムで観戦して選手のプレーに感動する。それもスポーツの楽しみだけれど、自分でサッカーのプレーをやらなくちゃいけない。へたくそでもプレーする(笑)。観戦するだけではなく、多くの学生がフィールドに立って競技をする。講義では繰り返しそう学生に伝えているし、ゼミでも学生自身の研究報告を重視しています。
ー壁打ちみたいなことをさせてもらってるということですよね。先生の講義を受けると感想文を書き終わるまで教室から出れないじゃないですか(笑)。毎回の感想を書くということが壁打ちになっていました。
はい。感想文を1行書く学生と10行書く学生ではやっぱり力の差が出ちゃう。そこで頭を振り絞って10行書くことが大切なんだよね。
ー感想を書くことで、自力で考えて講義内容を吸収できたと思います。
それから、僕の講義では、難しい概念や抽象的な言葉で話すことが多いかな。調査結果やデータではなくて概念で話す。抽象的なことを考えることこそ大学では大事なことだと思っているからです。つまり、学生が分かることを話してもあまり意味がない(笑)。早稲田の学生なら、教科書と言われる本に書いてあることは読めばわかる。
それよりは、抽象的な概念を、目の前にある現実とか、自分や周りの人たちの経験と結び付けて、考えることができるようになる。そしてその結果、抽象的な概念が具体的にイメージできて、腑に落ちる。体で分かったって。それが本当に分かったということですね。この訓練は大学でないと出来ない。学生にとってそれは難しい。だけど、そこをなんとか鍛えたいという気持ちはありますね。
ーすごく良い訓練をさせていただきました。
ー学生はコロナ禍で学びを深めるにはどのようにしていくのが良いでしょうか。
コロナで学生は大学に来ることができない。本当に学生も辛い思いをしていると感じます。しかし、ちょっと逆説なんだけど、勉強する場というのは大学だけではない。教員が話をする講義以外にも、今だったら海外の大学の講義をオンラインで講義している様子を観ることもできる。自宅やアパートにこもって集中的に読書することもできる。一か月集中して特定の分野の専門書を読んだら、そうとう理解度が向上し、身に付く。
あるいはインターンシップでも学ぶことはできる。だから現在は大学という枠を超えて、我々が「学ぶ空間」というのは広がっていると思う。僕たちの世代はまだ学生運動があって、講義なんかそっちのけで、サークルでも政治的な話や資本主義の話をしていたんですよ。
ー学生運動で学校にほとんど行けなかったという意味では現在のコロナ禍と少し似ているところがあるように感じます。
そんな中で当時の僕は、僕たちの身体は資本主義の中にいるけれど、頭は自由にそれを飛び越えて色んな事を考えていいと思っていた。資本主義の問題というのを解決するのはすごく至難の技だけれど、現在の既存の体制やルールを超えて思考できる。ネットなどなくて、日常的に海外の人と話すことなどできなかったけれど、様々なことを学生同士で話すとか、講義やゼミ以外の場所で学ぶ、という「学びの空間」が沢山あったと思うのね。今の学生って、講義聞いていれば勉強しているという雰囲気が強くなっていると思う。
だから、大学以外でも色んな勉強ができると伝えたいですね。大学に通えない状況だからこそ、大学以外で学ぶ場を自分の周りにどうやって作っていくかをぜひ考えてほしい。大学でも勉強するけど、大学以外でもいろんなかたちで勉強をしていく、といったかたちでの「ニューノーマル」を、コロナ禍を契機につくれたらいいよね。
学生時代について
ー学生時代をどのように過ごされていましたか?
大学へ入った時には教育問題をやりたいなと思っていた。1年もしないうちにそれはやめちゃって。哲学とか社会学の方が断然面白いと感じたんです。
ただ学部生の時は学生紛争の時だったので、ロックアウトで校舎内には入れないことも多くて、試験だって数回しか受けられなかった。一方で、読書の時間は沢山あったので、本はかなり読んだと思います。
ー大学院時代はいかがでしたか?
大学院へ行った頃は、社会学に専念していてメディアにはあまり関心は持っていなかった。むしろ戦前のドイツのフランクフルト学派に関心があって、アドルノ、ホルクハイマーという人達の研究を勉強していた。その後に、現代社会を考える上でメディアが大事だなと思うようになった。だから、バックボーンは社会学であるけれど、メディアを自分の研究領域として舵を切ったのは博士課程に入ってくらいからかな。
僕たちの世代は完全にテレビ世代だったし、テレビが社会的にどのような機能を果たしていくのかということを考えないと現代社会は読み解けない。大袈裟かもしれないけどそれくらい真剣に考えて、研究に向かって行きましたね。
ー先生のご専門って専任者が少ないイメージがあります。
いやいや、先達はたくさんいますよ。当時はマス・コミュニケーション研究と言われましたが、一番上の先輩のお一人は、藤竹暁さんという日本のメディア研究の第一人者かな。いま87歳ですがお元気で、私が本をお送りすると、いつも丁寧なお手紙を返してくれます。
また、僕が一番影響を受けたのは、東大で教壇に立たれていた社会情報学の吉田民人さん。社会情報学という分野を切り開いた人です。情報学というと、コンピューター科学を想起するかもしれませんが、遺伝子情報など生命科学の分野も含めてもっと広く情報を考えることを始められた方です。吉田さんの著書は丹念に何度も読みました。しかし、若い時は、丹念に読んだけれど、納得できないんだよ。まだまだ未熟だから、自分が違うなと思ったことを言葉にするまでにはいたらず、頭が整理できてない。その時期からようやく20年近く経ってはじめて、吉田さんに対して抱いていた疑問をようやく自分の言葉で表現して、自分なりのアプローチができるようになったというのが今の状態かな。20年間あたためてきたものを出せたという感じ。
ー先生ご自身が、20年間あたためてきたものを出していく中で、世の中を紐解いたという実感はありましたか?
吉田さんがやれなかったことを少しは見えるようになったという風には思っています。それが、現在の僕の研究主題である『情動』というテーマです。メディアと人間の関係を考えた時に、メディアは私たちにメッセージを送る。私たちはそのメッセージを理性的にというか「意味」として受け止めて、会話をしたり議論したりする。その過程をコミュニケーション・メディア理論は前提にしてきたわけです。しかし、伝わるものは、実は言葉の「意味」だけではなくて、感情も伝わるし「情動」も伝わる。「美的」経験といってもよいと思います。例えば、強い怒りとか喜びも伝わる。だからこそ「情動」というのは人間にとってすごく本質的なものなんですね。
しかし一方で、今のメディア環境の中では、その「情動』が強烈なバッシングであるとか、自分が正しいと思ったことを相手に対してそのままストレートに伝えていくというメカニズムが更に強くなっている。それはテレビ時代とは違う、現代のソーシャルメディア時代の社会現象です。「トランプ現象」がその典型です。だから、我々人間はより一層、自分の「情動」について知ることが大事だなと考えている。行動へ移る前に、それが「情動」であると知ることが大切。
ー自分が発しようとしている言葉が『情動』に拠る衝動的なものだと、一度自覚することが大事ですね。
はい。知るってことで、セーブできることもある。「情動」だと一瞬でも気が付く。気づくことで、このツイートやリツイートは辞めておこうと思えるかどうか。
伊藤先生の現在と学生へのメッセージ
ー大学教授をやっていてよかったこともぜひお伺いしたいです。
どうかな~(笑)。良くなかったことを先に言うと、自分の分野の本しか読む時間がないことかな~(笑)。本当は色んな分野の本を読みたいんだけど、時間がない。講義を組み立てるとか、研究分野に集中しちゃうから、小説読むとかにはなかなか手が回らない(笑)。だから大学を退職したら研究分野以外の本も沢山読みたいな。
大学の教師になってよかったことは、自分が好きなことをやれることかな。息子からも、「お父さんは自分の好きなことやってるんでしょ」と言われる(笑)。もう一つは、海外の研究者と話が出来ることが楽しいな。海外の人って年齢を気にしないよね。日本だと良い意味でも悪い意味でも年齢を気にするし、年上の人に対しては一歩引いて言葉も丁寧語にする。けれど、海外の研究者と話をしていると、年齢なんて関係なく接してくれるので、研究テーマや興味が重なると、「一緒にやろう!」って若い研究者からもフレンドリーに声を掛けてもらえる。更に言うと、それは会社員じゃなくて研究者だから、という側面もあると思う。それも大学の教員になって良かったと思う一つかな。
ー博士課程に入る前に研究職以外の道を考えたことはありましたか?
いや、他の道は考えてなかったな。大学の教員になることは偶然性もあるし、狭き門なんだよね。だから、他の仕事を具体的に考えたことはないけど、大学院の時には、予備校のバイト講師をしていたこともあって、もし大学の教員になれなければ予備校で働くことになるかなとは思っていた。研究もしながらやっていくとなれば、予備校で働くのがいいかなって。
ー研究するという軸を一貫して持たれていたのですね。学生時代は、研究以外にもやっていて良かったことなどありましたか?
大学院に入ってから、テニスを始めたんです。ずっと机に向かっているだけでは筋肉が落ちてしまうと思って。テニスは今でも趣味でやっています。ゼミで合宿に行ったときは、鴨川でゼミ生とテニスしたり、サッカーをしたり(笑)。半日だけは遊ぶ(笑)。
ー楽しそうです!!!!
今年は行けないけどね~、少し残念。伊藤ゼミでは、毎年11月か12月にICUと慶應義塾大学と明治大学そして大妻女子大学と合同でゼミの研究報告会をやる。それも今年はオンラインになるのですが・・・。まさに学生がプレーする場ですね。
ー毎年4つの大学が集まっているなんて、すごく豪華な回ですね。
ー最後に、学生全員にメッセージをお願いします!
大学4年間はすごく大変だと思う。ただ、3年生から、はやいと2年生からインターンや就職活動を始めたりしているよね。社会的な要請の中で動かざるを得ないことは凄く良くわかるし、学べることも多いと思うけれど、貴重な4年間なのであまり就職活動に専心し過ぎないよう気を付けてほしいな。4年間で自分の軸となる分野を見つけ、先ほど言いましたが、自分で学問というフィールドで試合に選手として出場してプレーをしてほしい。プレーする力を養って、それを満喫してほしい、というのが最大のメッセージですね。
学生が就職活動ばかりに目が行ってしまって大学へ行く本来の目的が失われているように思える瞬間があると、教員としては非常に辛いです。海外だと、会社に1年のうちどの時期に入っても良いわけで、卒業後に半年間旅行をしてから職業につくことも普通じゃないですか。僕の研究室でも、「日本で就職活動をやると学業に専念できないから耐えられない」といって、日本で就職したいと思っていたけれど、母国に帰って就職する留学生が何人かいました。こうした留学生の感覚の方が僕はいいなと思っている。日本の現状ではなかなか難しいことだと思うけれど、「ニューノーマル」として就職活動の在り方も学生のために変わっていってほしいな。
ー日本の就職活動の在り方に疑問を持っている学生は多いと思います。実際、大学でどんな勉強をしたの?と面接で詳しく求められることは少ないです。
そう思うでしょう。こういう勉強して、こういう卒論を書いて学生生活を送りましたと伝えて採用してもらえた方が双方にとって良いはずなんでしょうが・・、なかなかそうはならない。
ー就職活動をしていても学問を突き詰めて得られる力を養うことを意識して過ごしてほしいということですよね。
そういうことです。やっぱり大学って社会の中で独自の位置を占めているわけですよ。基本に立ち返ると、大学は真実・真理を極めていく場であって、それは学部の3年生であっても4年生であっても真実を求めて探求するメンバーの一員です。
大学は、他の社会のシステム、たとえば家族でもないし企業でもなければ政府でも行政でもない。真実を探求する場です。その大学が、企業や政府や行政とは異なる、もうひとつの大事な社会的領域であることを、学生には4年間を通して気づいて欲しいです。大学で学んだことを100%理解することができず、それが30%、50%だったとしても、真に探求するという場で自分もプレーしたという自信を実感しながら大学生活を送り、その自信をもって卒業してほしいな。
ーゼミ論や卒業論文も大変なことだからこそ、真の探求をできる貴重なチャンスだと思いました。伊藤先生、本日は貴重なお話をありがとうございました。
教員プロフィール
担当科目(2020年現在)
・演習II(放送学)
・公共市民学I(公共圏とメディア)
・公共市民学I(記憶と記録)
・オープンデータ論 メディア市民学
・ゼミナールI・II(放送学)
・複合文化学演習
・メディア・コミュニケーション論(情報メディア)
・メディア専門研究セミナー
・メディア・コミュニケーション学研究指導
・メディア・コミュニケーション学演習
・メディア・コミュニケーション学特論II
・社会科内容学研究指導
・メディア・コミュニケーション学研究演習
著書
『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたか』平凡社新書
『情動の社会学:ポストメディア時代におけるミクロ知覚の探究』青土社
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